読書感想文
最近読んで気に入った本を紹介します。
06年末より、感想をブクログへ移行しました。 本を読むのは通勤や移動中。 ちなみに、1999年 2000年 1月 2月 3月 4月 5〜7月 8月 9月〜12月分です(クリックしてください) 2003年 7月
佐藤和歌子「間取りの手帖」(2003:新書:リトルモア) 2002年 4月
副島輝人「日本フリージャズ史」(青土社:単行本:2002年):☆☆☆★
したがって、帰宅したころには細かい感想を忘れてることがしばしば。
ちょこちょこと地道に感想を書きます。☆5つで満点。★はオマケです。
微妙にベストセラーらしい。東京駅の本屋では平積みされていた。
へんてこな間取りをひたすらひたすら集めた本。
たとえば。こんな部屋、住んでみたいですか?
・6帖と7帳のDKのみ。でもルーフバルコニーへ出るとやたらと広い。
だってバルコニーは百帖ある。(7.8万円)
・正八角形部屋。南西の部分を拡張し、玄関やキッチン/バスのスペースを確保した。
あとはワンルーム。六辺がずらりと収納スペース。どこもかしこも。
どの壁も上部が窓で、下が収納か。覗かれっぱなしで落ち着かないな。(7.8万円)
・和6帖ワンルーム。バス、キッチン付き。
キッチンは窓に面してるが、バス/トイレは窓なし。
しかも部屋と仕切りはアコーディング・カーテンのみ。香ばしそう。(6万円)
などなど。うまく文章で間取りを説明できないや。
実際にこの本を眺めて頂いたほうが早い。
一風変わった間取りを九九部屋紹介した、小冊子っぽい作りだ。
作者による、一行だけのコメントも気が効いている。
字がほとんどなく、物足りなく思うかも。少なくともぼくはそう思った。
収録されたコラム数編が秀逸なんだもん。
特にコラム(1)。寂しげな雰囲気にじわっときた。間取りのドラマだ。
収録する間取りは半分、全頁コラム付きって構成で読み応え増して欲しいぞ。
ただし中に対談なども織り込み、きちんと読書欲も満たす。
白紙頁で余韻を残し本を閉じさせる演出もいいな。
こじんまりすっきり、まとまった編集だ。
この本、装丁も面白い。スピン(布の栞)を2本もはさむ。
末尾にあるメモ頁も、実用書っぽくてユニークだ。
表紙カバーの紙はツルツルして、読んでて手触りよかった。図面に使われるの、こういう紙じゃなかったっけ。
ぱらり、ぱらりと手にとって楽しむ本。
本屋で見かけたらぜひ、開いてみるのをお薦めします。
奇妙な間取りにバブルの悲哀を感じるもよし、どうやって住もうか頭をひねるもよし。
みんなでわいわいお喋りしながら読んでも面白そう。(03/7/26)
日本のフリージャズの幕開けは60年代らしい。
そこから現在に到るまでの40年余り。勃興から展開への流れを一気に書き記したのがこの本だ。
著者は音楽評論家として各種ライブに同席し、コンサートの開催などにも携わっていた。
レコードや記事などからの推測でなく、実際にその場へ居合わせた経験を踏まえた面白い記述が満載だ。
もっとも40年の時代を、わずか400ページ足らずで総括しようというのはそもそも無理がある。本人もあとがきで認めているが、詳細に語る前半部分に比べ、80年代後半以降はあまりにあっけなく駆け抜けてしまう。
ぼく自身の興味が、まさにこの時代だけにしまつが悪い。著者による続作を期待したい。
記述は極力客観的に書き記そうとしているが、そこここで著者の情熱や人間関係が生々しく透けて見える。個人である以上、どうしても好き嫌いがある。 読み手を信頼して、もっと極端に走ってくれて良かった。
ここで著者が記そうとしているのは、ミュージシャンの人となりや人間関係ではなく、日本のフリー・ジャズという「音楽」だろうから。
かえって著者の思い入れたっぷりな文章のほうが、その場の空気を味わえるってもの。
ここ数年日本のジャズをライブで聞きかじり、ミュージシャンの名前に親しみを持ってたのがラッキーだ。
登場する人々の名前がすんなり頭に入って、一気に読み上げてしまった。
だけど今回読んだことで、かなり自分の価値観をひっくり返された。
特に藤川義明と翠川敬基。著者が親しくしていたせいか、克明に彼らの活動が記録されている。
彼らがここまで日本のフリージャズに深く関わり、過激な表現を繰り返していたとは。恥かしながら初めて知った。
藤川義明のイースタシア・オーケストラも、復活後のライブを数回聴いて、わかった気でいたけど・・・とんでもない。もっともっと過激だったんだ。ぜひ往年のステージを体験したいな。
日本のフリージャズ界を、あえていくつかの世代に分けている。
第一世代が高柳昌行、山下洋輔、富樫雅彦、阿部薫といった人々か。
本書では第二世代を、梅津和時、翠川敬基、藤川義明、明田川荘之、坂田明、片山広明あたりとしている。
ジャズを「芸術」ととらえ、前衛のプライドを持って思想や主張を音楽に叩き込み、自己との対話を掘り下げていった第一世代。
「観客」を意識し、前衛の中にユーモアや『遊び』を盛り込んだ第二世代。
世代をあえて二極分化させ、フリージャズにおける価値観の推移を述べてくのが、本書のメインテーマではないか。
ちなみに著者は「第三世代」を「フリーフォームを究極の条理としないで(中略)肩肘を張らないで、表現をもっぱら楽器演奏に託している世代」と定義する。
ミュージシャンで言えば林栄一、広瀬淳二、石渡明広、内橋和久あたり。
さらにこの世代の「若手」に不破大輔、大友良英あたりを位置付けているようだ。
たった1行ながら、ボンデージ・フルーツの名前を挙げているのも評価したい。
ぼくの感覚だと、すでに彼らもベテランで、その下の世代が現れている気がする。宇波拓、イトケン、角田亜人、植村昌弘あたりになるのかな。
この世代の分析はさらに同世代・同時代で聴いている、若い書き手の登場を期待したいが。
渋さ知らズは数ページの記載のみ。かなり物足りない。
だけどあくまで祝祭空間としてのみ語られてしまう、渋さ知らズの歯軋りを短い行数でうまく表現してる。
先ほど「第3世代」は主義主張を音楽に投影せず、音で勝負する世代と分類した。
しかし本書最後で述べられた不破大輔の発言は、第一世代にも通ずる強烈なマニフェストになっている。
フリージャズはまだ足を止めていない。さらに進化していく。
本書の後半部分はひたすら名前が羅列される感じだけど。
いままでその場に居合わせた人の記憶のみで、語られなかった「ライブハウス・ベースでのジャズシーン」を追体験できる貴重な本だ。
なお、著者にひとつお願いしたい。本書で「過激な世代」と語られる第二世代の、「今の音楽」をなぜもっと詳細に書き添えてくれなかったのか。
かれらはキャリアを積んだ今、穏やかさも表現に盛り込み、素敵なフリージャズを演奏している。
過激一辺倒で、パフォーマンスを繰り返すジャズを演奏しつづけていたなら、ぼくはここまで彼らの音楽にのめりこまなかったはず。
日常を踏まえ、キャリアを踏まえ。さまざまな音楽要素を取り込み、いい意味で「大人のフリージャズ」を巧みに表現する、彼らの「今」もぜひ語って欲しかった。
そもそもページ数の割に高い印象が残る。部数を期待できるテーマでもないし、しかたないのかなぁ。本書が大ヒットして続作を書いて欲しいぞ。
なお本書の重要な参考資料として、翠川敬基が小説仕立てで当時の思い出をWEB上にて記している。
とても貴重な発言として、ぜひ一読をお薦めします。面白いですよ。微妙に事実関係が本書と違うけど。細かいことは気にしない♪(2002/4/30)
2002年 2月
若竹七海「古書店アゼリアの死体」(光文社:新書:2000年):☆☆★
若竹七海は好きな作家。文章からにじみ出てくるそこはかとないユーモア感と、からっとした会話の雰囲気が魅力だ。
ピンと一本背骨に筋の通った女性を書かせるとうまいんだよね。
本書は新書書下ろしで刊行された。本書の前作「ヴィラ・マグノリアの殺人」と同じ、葉崎市を舞台にかかれている。架空の地域を共通項にした連作ってとこか。
基本は葉崎市を牛耳る有力者の遺産争い・・・かな。何人かが殺され、その犯人を探るミステリーだ。
だが、不思議と殺伐とした読後感がない。
あくまで空気が、どこかほのぼのとしている。それはやっぱり、キャラクターの個性によるものだろう。
相澤真琴は、ふらりと葉崎市にやってきた。
いきなり失業した上、ウサ晴らしに泊まったホテルが全焼。さらにその他トラブルがてんこもり。
なんもかんも吹っ切ろうと、葉崎の海に向かって「ばかやろー!」と叫ぶために。
ところが葉崎市の海も冷たく、男の死体を真琴にプレゼント。
警察の事情聴取で足止めくらい、しかたなくぶらついた町には一軒の古本屋があった。
その店はロマンス小説専門古書店。威勢のいい老婆の店主から、ロマンス小説好きをかわれ、真琴は唐突に店番を引き受ける。
ところが真琴が店に泊り込んだ翌日には、泥棒がやってくるしまつ・・・。
最後の最後まで細かいどんでん返しが繰り返され、些細なところに伏線がちりばめられた構成に唸った。
さらに。そんな謎解きで頭を悩ませなくとも、のほほんと読んで楽しめるストーリーの面白さもある。
「ミステリはややこしいからなぁ」とのためらいも、この小説には不要でしょう。(2002/2/19)
2001年 9月
北尾トロ「ぼくはオンライン古本屋のおやじさん」(風塵社):ソフトカバー:☆☆★
本業はライターの筆者は、自宅に溢れかえる本の処置に困り果てて・・・。
「そうか、古本屋をやればいいんだ。オンラインなら、店舗もいらない」と思い立ち、あっさりHPを使用したオンライン古本屋をはじめた。
本書は、その立ち上げ当初から約一年後までの軌跡を記している。
苦労話はほとんどない。立ち上げからすんなり走り出し、いきなり利益をあげているのはさすが。
最初は蔵書の処分がメインだったのに。セドリを中心に仕入れをはじめ、売上拡大を模索していく文章が面白い。
ちなみにそのオンライン古本屋はここです。
本が好きで、溢れる本に困ってる人なら一気に読めるのでは。
こういう古本屋も存在できたんだ。(2001/9/24)
2001年 6月
椹野道流「暁天の星」(講談社):新書:☆☆☆
本作は著者による、初のノベルズ作品。出版は99/6。
一読して、西澤保彦の諸作をイメージした。
キャラ立てで引っ張っていくところといい、ミステリにSFタッチ(本作はホラーかな?)な要素を盛り込むところといい。
インタルードとして、登場人物同士の他愛ないエピソードを盛り込みつつ、
短編を積み重ねて物語が進行していく。だから細切れな時間に読みやすかった。
法医学教室に入りたてな伊月崇と、その教室の名物鑑定医、伏野ミチルがコンビになって、物語は進んでいく。
二人の女性が死んだ。一人は駅のホーム。一人は交差点で。
犯人はどこにもいない。それぞれ、いきなり錯乱して自殺のように身を投げる。
司法解剖にふされた二人の遺体にはいくつかの共通点が。
指には小さなあざ。そして、一房の頭髪が引き抜かれていた・・・。
舞台はかなり血なまぐさいけど、のんきな会話で繋ぎ、陰惨さをうまく減じている。
著者は現役の女性監察医だとか。そのおかげか、描写に圧倒的なリアリティあり。
サブタイトルを「鬼籍通覧」とし、今までにシリーズ作があと2作書かれてるらしい。
続きを読みたい。すうっと小説世界にひきこむ、うまさがある。(01/6/9 記)
氷川透「真っ暗な夜明け」(講談社):新書:☆☆
00/5の出版。本作がデビュー作になるそうだ。
バンド仲間が就職して数年。モラトリアム気分でふらふらしていた、推理小説作家希望の氷川透が主人公になる。小説家と登場人物が同一ってやつね。
ひさしぶりにバンド仲間と会う飲み会から、舞台はスタート。いい気分で酔って、電車のホームで一休み。
ところがそこで殺人事件発生。殺されたのはいっしょに飲んでたバンドメンバーだった・・・。
主人公の氷川が、かなり癖の強い性格をしている。
推理をするのはいいものの、ロジカルな整合性を求めるあまり、どんどん議論が錯綜していく。
推理のプロセスは楽しいから、「推理そのもの」へ夢中になりすぎ、結論はどうでもよくなったりする。
ぼく自身、こういうタイプだから共感しつつ読めた。ややこしい推理のプロセスは流し読みしちゃったけど(笑)
少々読みにくい小説。文章がこなれてくると化けそうだ。
登場人物(特に女性二人)の人物描写で引っ張って、なんとか最後まで読み通せた。最後のどんでん返しは、オマケだな。(01/6/9記)
2001年 5月
山田満郎/加藤義彦「\8時だョ!全員集合/の作り方」(双葉社)単行本:☆☆★
子供の頃に夢中になって見ていた「\8時だョ!全員集合/」。冒頭のコントはドリフのギャグだけでなく、セットを駆使した仕掛けが強烈に印象に残っている。
本書を読んで知ったが、あのセットは16年間の放送中、全て同一人物による「美術」係によって作られていたそうだ。
著者の山田満郎氏がその美術担当。
彼へのインタビューを主軸に、盛りだくさんの図面や写真でドリフのコントセットデザインを振り返ったのが本書になる。
当時、ビデオなんか撮っていない。番組そのものも、生放送一発勝負。全て一回限りのテレビで見ただけなのに。いくつかのセットの説明を読んでいると、記憶がよみがえってくる。
あのとき不思議でたまらなかったセットの裏舞台を、あっけらかんとさらけだす本書に、読んでいてぐいぐい引き込まれた。
ある程度使い回しされたにせよ、基本的にコントのセットは一回限り。
その一回のために、どれほど魅力的なアイディアがつぎ込まれ、次のアイディアに進化していったことか・・・。
なにげなく語られるセットの仕掛けは、さまざまな発想の転換のアイディアが盛り込まれている。その斬新な発想も刺激的。
この本を片手に、もう一度当時のドリフによるコントが見てみたい。
もはやドリフは、あのときのようなコントをテレビで演じていないから。
なぜビデオが出ないんだろう・・・もったいなや。
先日どばっと再発されたモンティ・パイソンみたいに、再評価されてもおかしくないのに。
ちなみに『飛べ!孫悟空』はいまや、TBSにすらビデオが残っていない幻の作品だそうな。なんともったいない・・・。(01/5/20記)
2001年 2月
小田嶋隆「人はなぜ学歴にこだわるのか。」(メディアワークス):単行本:☆☆
まずはじめに。
この本は、堅苦しく「学歴論」を語った本ではありません。
著者はコラムニストとして活躍。ぼくは「クロスビート」に名コラムを連載していたとき、この人の文章にはじめて出合った。
当時「クロスビート」を買ったら、まっさきに彼のコラムを読んでいたっけ。
しょっちゅう原稿を落として、休載してたけど。
あくまで正論を、吐き捨てるように綴っていく文体がめちゃくちゃ好き。
そんな著者の書下ろし最新刊がこれです。
社会で「学歴」を話題にするとき、どこかしら居心地の悪さを感じがちだ。
サラリーマンやってると、しみじみわかる。
本書はまず「学歴=差別」と、ずばり言い切ってみせる。
そのうえで「いかに学歴社会が、日本人の価値観にしみ込んでるか」を語っていく。
著者一流の文体で、いやみったらしくねちねちと。
でも、おもしろい。とにかく、おもしろい。
本の中で語られる内容が興味深いんじゃない。
いや、おもしろいことはおもしろいけど。
それよりなにより著者の文章が、すばらしく楽しめます。
この本で著者自身、「学歴にこだわるのはくだらない。でもおれが学歴を基準に、人を評価してしまう」とカミングアウトする。
サッチーの学歴が「コロンビア大学卒」から「尋常小学校卒」と変わったら、彼女に対する見方ががらっと変わったって。
だから、この本を読み終わっても「おお、なるほど」と感心することはない。
だって、なにも結論が出ていないんだから。
ところが最後まで一気に読んでしまう。文章のパワーにぐいぐい引きずられる。
いってみれば、ぼやき漫才。
底意地の悪い文章が、本書いっぱいに炸裂している。
だまされたと思って、読んでみてください。
おもしろいから。
ただ、めったに本屋においてないけど(ああ・・・)。。(2/20記)