読書感想文

ARIEL(エリアル)(14)/笹本 祐一(1999:朝日ソノラマ:文庫)
 ジャンル的にはジュブナイルSF。中学、高校生あたりをターゲットに書かれたものだろう。わかってはいるけど、どうにもおもしろくて、この歳になっても読まずにいられない。
 このシリーズがはじまったのは1987年だから、かれこれ12年前になる。そのあいだ、ぽつぽつと書きつづけられ(ときには、他のシリーズが、同じ朝日ソノラマ文庫で始まって「ひょっとして、エリアルを書くの飽きたのかな?」とやきもきもした。しかし、うれしいことに、ずっと続いている。大体、この前の13巻が出たのもちょうど一年前位。三ヶ月に一回とは言わないが、もっと速いペースで読みたいものだ。
 このシリーズのあらすじは「現代の日本が舞台。外宇宙から宇宙人の侵略者がやってきて、その撃退のために3人の若い女性が巨大ロボットに乗り、立ち向かう!」というもの。この紹介を読んだだけでは、たいがいの人は失笑するのがおちだろう。でも、ぜひ一度読んでほしい。作者の巧みな人物造詣と、オタク感あふれる舞台立てに、軽妙な会話が楽しませてくれるから。
 いつのころからか、本シリーズもさまざまな登場人物が織り成すどたばたで一冊読ませるようになった。ぼくはこの作者を、ほぼデビュー時からリアルタイムで読める幸運に恵まれた。どの小説も、文句なしに面白い。人物設定にこだわりがあるからだろう。特に、笹本印の小説にたいがいは登場する「ミニ・スーパーヒーロー/ヒロイン」が大好きだ。大抵のことはそつなくこなし、狂言回しの位置でストーリーを引っ張りまわし、トラブルに直面したって、ぶつぶついいながらさりげなく解決するところに爽快感がある。この小説で言えば河合美亜。ここんとこの何冊かじゃ、そんなに活躍しないのが残念だけどね。
 なんだか小難しいことをいろいろ書き連ねちゃったけど。なにはともあれ、ご一読あれ。深く考える必要なんかない。しばしの間小説世界に飛び込めば、とびっきりの爽快感が味わえるのは間違いない。
 あ、そうそう。この14巻は、ラストでおもいっきりストーリーを引いちゃってる。すぐに続きが出るんだろうな・・・・待ち遠しいぞ。

短歌パラダイスー歌合 二十四番勝負ー/小林 恭二(1997:岩波書店:新書)

 この新書の楽しみは、中で作者自身が述べている。ちょっと引用してみよう。
 「もし作品のみならず、解釈までもが作者のものであるならば、読者の主体性はどこにあるのだろう。
  わたしは読みに関しては、特権的な立場の人間は存在しないし、存在すべきでもないと考える。」
 本書は、1996年に熱海の旅館で行われた、20名の歌人による歌合せの模様を記した本だ。
 「歌合」。乱暴な言い方をすると、複数の短歌を詠む歌人が集まって、それぞれのお題で詠んだ短歌を、2組(ここでは3組もあるが)に分かれ寸評しあい、俎上に上がった歌の優劣を競うという遊びらしい。
 こう書くと、優雅だけどつまらない会を想像するかもしれないが、とんでもない。ま、単にその会に同席してるだけなら、そう思っちゃうのかもしれないけど。
 僕がこの本を手に取ったのは、作者名に惹かれたから。著者はいかにも奇妙な擬似年代史「ゼウスガーデン衰亡史」を書いた人、って印象が僕はある。その小説は不思議な浮遊感をもった文体と、流れるような構成力が魅力的で、当時一気に読み終えた記憶がある。
 小林氏は、日本の俳句や和歌に造詣が深いらしく、岩波新書にも(僕が知る限り)2冊の俳句の本を出している。そのうちの一冊、「俳句という愉しみー句会の醍醐味」を詠んで、楽しんだから。これまで、学校の授業で勉強した俳句に対する印象がでんぐりがえった。俳句は年寄りくさいものなんかじゃない。イマジネーションを凝縮したもの。しかも、読者の知識や経験や想像力が豊富であればあるほど、いろんな表情がその句から読み取れるんで、自分自身をためされる。そんなわくわくするような自分自身への向上心がくすぐられた印象がある。できもしないくせに、本を読み終わったあと、つい俳句をひねりたくなったっけ。だからこそ、僕はこの本を読んでみようと思った。
 この本は、単なる歌合のジャーナリスティックな記録じゃないし、作者自身も絶対の批評感を読者に押し付けたりもしない。わからない歌に対しては判断を保留する。その歌合に同席した評者の寸評を、虚心に受け止めたりもする。まさに本項の文頭に引用した通り。しかも、実に想像豊かな解釈っぷり。学校の授業で短歌に食傷した人にこそ、ぜひ読んでもらいたい。
 本書の趣旨を一行で表した文章があったんで、もう一行だけ引用させてくださいな。
 「(筆者が)句会録、歌合録にこだわるのも、「作る」とともに「読む」ということにもスポットライトをあてたいからなのだ。」
 著者は、この本の中で、実に巧みに読者の興味を引っ張っていく。あるときは最後まで見届けた立場の余裕で「〜まで読んでいただければおわかりだが」的な表現で興味をあおってページをめくらせ、あるときは読者と同じ視点で、「後で〜かもしれない」的な言葉で謎めかせる。
 厳密にメモをしながら読んだわけじゃないから、いちいち該当個所をあげないけど、僕は読みながら「視点が一定してないなー」と思ってた。要するに、最後まで見届けて、すべてをわかった記録者の立場で書くのか、それとも実況中継のノリで、結論がわからないふりをして書き綴るのか。
 で、僕が何をいいたいか。この著者は小説家でもある。冒頭で触れたように、言葉の浮遊感が魅力のひとつのね。そう。この本は、ノンフィクションなんだけど、フィクション的にも読めたんだ。フィクション的に読んだとたん、この本は別の表情を見せる。旅館に集まった20人の歌人たちが織り成すひと時の歌合せの記録。日常の生活では、ちょっと創造しづらいシチュエーション。そんな非日常性のひとこまを切り取った本です。

  

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