今のおすすめCD

最近買い込んで、気に入ったCDを中心に感想を書いてます。
したがって、特に新譜だけってわけじゃないですが、お許しを。

The ConstruKction of light/King Crimson(2000:DGM/Pony Canyon)

 スタジオ作としては、前作「スラック」から6年ぶり。第5期のダブル・トリオから二人抜け、ロバート・フリップのほかにはエイドリアン・ブリューにトレイ・ガン、パット・マステロットの4人が残った。
 第6期とロバート自ら認め、「ダブル・デュオ」と呼ぶ新生クリムゾンの一作目だ。
 そして。クリムゾンは、新たな地平を間違いなく見つけた。

 僕自身は、前作の「スラック」はどうにも感情移入できなかった。ハードな音楽が嫌いなわけじゃない。クリムゾンで一番好きなのは「レッド」だし、ミニアルバムの「ヴルーム」はとても楽しく聞けた。
 「スラック」にのめりこめなかったのは、妙に「非人間的」に聞こえたから。機械のような冷静さの「メタル・クリムゾン」が僕にはあわなかった。

 ところが、この新作はいい。音の感触は、前作に輪をかけてハードだ。非人間さどころか、機械でもやらないような冷徹さが全面を覆っている。
 だとすると、前作はなぜ気に食わなかったのか。自分でも納得いかずに前作をもう一度聞きなおしてみたが、以前の印象とは大違い。「スラック」はとてもポップに聞こえた。
 ようするに、前作が駄目で今作を僕が気に入った理由は二つ。
 ひとつは僕が、両極端。とことんハードか、とことんソフトか。とにかく極端な視点まで入っちゃったほうが好きだってことだろう。
 ふたつめは、僕が6年間の間にいろんな音楽を聴いて、耳のキャパシティが上がったってこともある。

 前置きが長すぎた。本作の紹介に移りたい。
 今回のクリムゾンは、全体的に甘さを排除したつくりになっている。
 これまでのクリムゾンのアルバムにあったような、暖かな音色の楽器も安心するスローな曲もない。
 ひたすらストイックにキンキンしたギターが、機械仕掛けの恐竜となってアルバムをのしまわっている。
 Vドラムとストリングスっぽいギターの音色にヴォーカル。それらが数少ないふくよかさのネタかな。

 そう、このアルバムではミックスの奥底へ耳を傾けない限り、暖かさは伝わってきやしない。ブルース感覚を排除したロバートのギターは、ひたすら細かいパッセージを弾く。カラカラ音が絡み合う感触は、まるで工場の中を歩き回っている気分だ。
 だけど、この音楽は僕にはとても心地よい。
 打ち込みのテクノとは違う。ましてや、感情剥き出しの音楽とも違う。
 でも耳を傾けると、機械では出せないようなふくよかなノリが全体を覆っている。

 演奏はハイテクニックの嵐。リズムがとりにくい変拍子がそこらじゅうにばら撒かれている。
 それぞれの演奏者が各自のビートで動き回り、複合したノリを生み出している。このポリリズムはアフリカ音楽の人間くささの複合リズムとはちがう。
 計算し尽くした設計図からつたわってくるような、理性で磨きぬかれた感動的なポリリズムだ。

 曲はどれもこれもヘビー。デス・メタルじみた一曲目から始まって、最後のコーダまで、細かいフレーズが息もつかせず繰り広げる。
 70年代の代表曲を踏まえた、「フラクチャード」と「太陽と戦慄パート4」も収録されている。
 どちらの曲も、過去の曲のイメージをもちつつ、さらにハードにさらに凶悪に進化している。アルバムの基本線として張り詰めている緊張感がたまらない。

 ラストの「プロジェ”ク”トX」は、ちょっと退屈かな。
 もやっとしたイメージで、メインのアルバムのテンションには及ばないのが残念。

 このアルバムを引っさげて、クリムゾンはライブに出て行く。
 しかし、このアルバムの曲を再現できるのかな。
 いや、再現はできたとしても、どのくらい生きた音楽として即興を交えたステージを行うんだろうか。
 70年代のクリムゾンのライブと同じくらいの興味を、今のクリムゾンにもってしまう。機会があればライブを一度聞いてみたいな。
 
Farmhouse/Phish(2000:Electla/Eastwest japan)

 去年の6枚組みアルバム「Hampton Comes ALive」に続くアルバムが、もう届けられた。
 スタジオアルバムとしては2年ぶりだけど、前スタジオ作はジャムセッションを編集したものだった。だから”完全にスタジオで作りこんだアルバム”としては、96年の「Billy Breathes」ぶりといえよう。
 
 今回のアルバムのコンセプトは、「ライブでとことん演奏して、磨き上げた曲を収録」。
 さしずめ「煮詰められた曲のエッセンスを凝縮したもの」ってところだろう。
 「Hampton Comes ALive」にも、本作収録曲が2曲(日本版ボーナスをいれれば3曲)含まれている。
 発表された瞬間から、ライブ・ヴァージョンとスタジオ・ヴァージョンを聞き比べられるんだから、うれしいかぎり。
 ちなみに、日本盤にはボーナス曲が2曲。どうせなら、こっちをかったほうがいいんじゃないかな。

 このアルバムはメンバーのほかに、管や弦がゲストで入って曲にふくらみを与えている。だけど、曲の長さはどれも数分台。
 phishのトレードマークのジャム・セッションは控えめだ。
 あくまで、このアルバムでは曲そのものを楽しめるように視点を絞り込み、スマートでシンプルな構成になっている。
 
 ぱっと聞きでは、カントリータッチの素朴なアレンジが多いかな。
 とはいえ、あくまでもしっかりとしたphishサウンドが堪能できる。
 淡々と刻むドラム。リズムへ巻きつくようにベースが弾み、ピアノがそっと覆いつくす。
 そしてその中心を、すぱっとギターが突き抜け、舞い上がる。
 メロディも、どこかひねくれているのに、耳にすんなりとなじむ。
 メンバーの全員の演奏が、単なる伴奏に終わらない。それぞれが自己主張している。
 だのに、ばらばらに拡散したりしない。

 しかもアルバム最後の曲、「First Tube」は、6分程度のインストで、彼らの演奏だって、しっかり堪能出来る。
 まったく、隅から隅まで目配りが聞いていて、隙がない。
 もっともアルバム全体を覆い尽くすのは、phish一流のリラックスした雰囲気だ。聞いていてゆったりした気持ちになれる。

 phishはライブで魅力を堪能できるらしい。ライブ盤でしか彼らを聞いたことがない僕には、客観的な判断は出来やしない。
 今、彼らはこの6月に単独来日して、日本のあちこちでライブを聞かせる。
 本国のアメリカでは、数万人を集めた大コンサートをやるかれらが、日本ではその二桁くらい少ない観客に対して、音楽を聞かせる。
 チケットは即日完売らしい。僕は見事に買い損ねた(くやしい!)

 このアルバムを聞くたびに、彼らのライブを聞いてみたい気持ちが強くなる。
 このアルバムだけでも、充分以上に楽しめる。
 なのに、phishはライブこそが華。それがわかっているだけにもどかしい。
 はぁ、罪作りなアルバムだ・・・。

Wasp Star/XTC(2000:cooking vinyl/Canyon)

 デイヴ・グレゴリーが脱退し、二人っきりになったXTCの「アップル&ビーナス」のエレクトリック版だ。
 演奏者のクレジットも、アンディとコリンにサポート・ミュージシャンが参加する形態になっている。
 
 一聴して感じたのは、はじけようとしてはじけ損ねているもどかしさ。
 鼻声のアンディのヴォーカルも、くねくね絡まるメロディも、練りこまれたアレンジも健在なのに。どこかものたりない。
 といっても、決して悪いアルバムじゃない。
 肩の力が抜けた一曲目から、ワンコードながら退屈させない2曲目と、つぎつぎ面白い曲が溢れ出す。

 僕がこのアルバムで一番気に入ったのは「you and the clouds will still be beautiful」だ。
 メロディもうきうきしてくるが、歌い上げるときのアンディの舌を丸める鼻声や、吐息っぽい歌声がたまらない。
 でも、この曲がヒットするとは思えない。

 だのに、僕はものたりない。
 なぜもっと、アンディはわがままにならないんだろう。
 このアルバムは、バンドと外界の潤滑油的なデイヴが抜けたことで、たがが外れたアンディが、もっと好き勝手に暴れた一枚になると思っていたから。

 リヴィングストン・テイラーのインタヴューをレココレ6月号で読んで、いろいろ考えさせられた。彼はそのインタヴューで、こう言っている。
 「世界中で、私の音楽を気に入ってくれる人が3万人いるとすれば、それは私の生活を支えてくれるのに充分な数だ」と。
 この計算がどう成り立つのかはおいておこう。だけど、XTCのファンはこのくらい・・いや、もしかしたら10万人くらいいるんじゃないか。

 このアルバムをリリースするまでにかなりかかったのは、前の所属レコード会社、ヴァージンと契約で揉めていたからだそうだ。
 だけど、冷静になって考えてみて欲しい。これだけインターネットが普及して、確固たる固定ファンを獲得しているXTCが、なぜレコード会社との契約にこだわるのか。
 ヒット曲を出して、大スターになるためか?ちがうだろう。

 アンディ自身が、その夢にどの程度固執しているかは想像するしかないが、おそらく「自分自身のやりたい音楽」と「ヒット曲」を天秤にかけたら、アンディは間違いなく前者を選ぶと思う。
「スカイラーキング」録音時のトッドとの確執を例にあげればわかりやすい。
 プロのプロデューサーとして、精一杯の仕事をしようとしたトッドとトラブルを起こし、あれほど自作のネガティヴ・キャンペーンを行ったアンディじゃないか。

 アンディは、僕が知る限りソロアルバムは出していないはず。
 すなわち、XTC=ソロ(コリンの曲が入っていることはおいておくとしても)と見てかまわないだろう。
 ならばなぜ、アンディはもっとわがままに、自分の音楽を作り上げて発表する立場を獲得しようとしないんだろう。

 このまま、アンディはコリンまで追い出して、XTCを自分のプロジェクトにするのだろうか。アズテック・カメラやダイナソーJrやザ・ザのように。
 それとも、アンディはレコーディングにプロデューサーやレコード会社のような「仮想敵」がいないと、音楽は作れないのか。
 そんなことはないだろう。アンディの才能は、そんな安っぽいものではないと信じたい。
 それともメジャーのほうが、レコーディング費用をふんだんにつかえるからか?
 ならば、今回のインディとの契約はなんなのだ。
 
 「仮想敵」との妥協の果てに作られた中途半端なポップスと、とことん自分の趣味を押し通したパーソナルな音楽の、どちらに価値があるのか。
 いうまでもない。後者のほうだ。「ポピュラー音楽」の枠組みからは外れようとも、圧倒的な個性を前面に出した「オリジナル」を作れば、わかるファンはしっかりついてくる。
 その上、それ以上にリスナー拡大をするのは間違いない。 
 ここ数年、やたらともてはやされている「ペット・サウンズ」を見ればいい(個人的には、苦々しい思いがあるが)。

 もはや、XTCに妥協はいらない。しかもうまいことに、XTCのファンはビジネスとしてみても、非常に「おいしい」リスナーだ。
 なぜかって?XTCのファンは「どんな音源でも聞きたい」ってファンだからだ。
 一枚アルバムを出すごとに作られる、デモテープ集・アウトテイク集だって、充分に商品として成立させられる。
 アンディの弾き語りみたいなものすらファンには売れるだろう。下手なミュージシャンならば、ゴミ屑扱いされるだろうに。

 僕が言いたいのは「XTCのファンは音楽の価値判断力も節操もない」なんてことじゃない。
 まるで逆だ。「XTCのファンは、アンディの音楽を待ち望んでいる。だから、待ちぼうけを食わせる必要なんてない」ってことだ。
 契約でもめた?なら、なぜインディーズで、とっととリリースを決断しないのか。

 XTCはいまさら、がめつく新規のリスナーを獲得しよう、なんて努力する必要なんてない。
 あくまで今のリスナーを心底満足させるような、とことん個人趣味に邁進した音楽をつくってほしい。
 そうすれば、新規リスナーなんて、ほっといたって増えてくる。

 このアルバムを聞いていて、つくづく思う。
 アルバムの曲は、どれもこれもデモテープをじっくり作りこんだ感触に満ち溢れている。
 曲を煮詰めるのはいい。曲のクオリティがあがるんだ、大歓迎する。
 だけど、なんだかアレンジを追い込みすぎて混乱しているような気がしてならない。
 契約で揉めながら、こつこつデモテープをいじっている間に、袋小路に入り込んでしまったかのようだ。

 僕はXTCの熱心なファンとは言えないかもしれない。何枚かのアルバムはもちろん聞いている。一番最初に聞いたのが「イングリッシュ・セツルメント」かな。
 でも、一番好きな曲は89年の「オレンジ&レモンズ」に収録された「the mayor of sympleton」だ。
 ひねくれたメロディと神経質なギターに、アンディの鼻声。
 およそポップ感とは無縁な表現なのに、出来上がった曲にはとびきりの開放感で満ち溢れ、ぽんぽん弾む楽しい曲だ。

 あの曲をアンディがどう評価しているかはわからない。
 もしかしたら、嫌いな曲なのかもしれない。
 だけど、今回のアルバムで最後の曲「the wheel and the maypole」には、その躍動感が聞き取れる。
 まだまだ、アンディはポップ・ソングに執着があると見た。
 でも、ヒットするか・・・と言えば、ちょっと疑問だ。 
 
 とはいえ、ヒットしなくたっていいじゃないか。
 肝心なのは、アンディが次のアルバムを作れるだけのビジネスとして、作品のセールスが成立すること。
 音楽性じゃなくビジネスを語るのは、身もふたもないかもしれない。だけど「契約問題で揉めてる」って理由をリスナーにさらけ出すことと、本質的には表裏の話題だ。

 アンディは、周囲のことなんかなにも気にしなくたっていい。
 どんなに変人扱いされようが、とことん自分の信じる音楽を追及して、作り上げて欲しい。
 そういう意味では、彼を本当に支える、しっかりしたスタッフを見つけることが、XTCの一番の課題だな。

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