のんびりてきとー日記です。
BGMは、特に日記の内容とリンクしてない
場合が多々ありますが、ご容赦を・・・。
ちなみに過去の日記はこっちです。
まぁ。
今日はライブをパス。HP用の感想文を書こうと思ってさ。メルツバウとかGbVとか、ギャラクシー500とか。
ほったらかしに見えて、実は更新したいんですよ。書く時間が取れずに、結果的にはほったらかしてますが。

が、実際は本を読んでたら、あああぁっというまに時間が経過してた。
本読んでる間に、うとうと居眠りもしちまった。
頭しゃっきり。なんか体だるい。風邪かな。またかな。やだやだ。

読んでたのはこんな本。
①菊地成孔+大谷能生「憂鬱と官能を教えた学校:【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史」
②鴻上尚史「ラブ アンド セックス」
③鴻上尚史「名セリフ!」

③はまだ読了してません。今晩中に読みきれるかな。

①は発売を待ちわびてた。とにかく分厚い。2段組で350ページくらいか。
内容は02年の春に映画美学校で行われた、「音楽美学講座・商業音楽理論史」の講義録。私塾をずっと続けてた菊地だが、公式(って言い方も変だが)に回数を重ねた初講義が、これじゃなかったっけ。

前書きでも述べている「文藝別冊:マイルス特集」は、思い切り刺激的だった。
切り口の鋭さに惹かれており、一度は彼の講義を聴きたいと思ってる。タイミングがなかなか取れず今までは未体験。今後も取れなさそうだけど・・・。

本書は音楽版「文学部唯野教授」みたい。意識してないと思うが。語り口をそのまま生かし、講義に参加してるかのよう。
内容が面白くて、一気に読んだ。

いくらでもぺダンティックになれるはず。でもその方法論は捨て、しごく真正面からバークリー・システムのコードと、ポリリズムのさわりのさわりを説明した。

ほんとうは菊地って、この講義はもっと突っ込みたかったのかも。
生徒の誰もがコード進行、4度圏やモードを理解してるのを前提に、さらに「実学」へ踏み込みたかったのかもしれない。

けれど音楽初心者の生徒もいたようだ。
結果的にはそれが功を奏し、飛び切りの入門書に本書は仕上がってる。

本書は語り口を生かすことを前提に、重複を良しとしてる。授業のはじめ、中盤で菊地による復習の部分も削ってない。
だからぼくみたいに付いていけなくなりそうな読者でも、自分の立ち位置をギリギリのところで確認できる。

初歩から難しい領域へ進むことは簡単だ。しかし頻繁に生徒の習熟度を確認する、菊地のバランス感覚に舌を巻いた。いい先生だよ。私塾でずっと教えてきた経験がそうさせるのか。

ただし独学の教科書には、ちょっと向きそうにない。絶対的に教材を削減してるから。
膨大な注で、なにが行われたかの片鱗はわかる。しかし当日配られたと思しきレジュメは、本文の中で存在を記されるのみ。

さらに文中で「ここでは飛ばします。次のページへ」といった発言が、しばしば見受けられる。
それと、せめてキーボードが横にあったほうがいい。譜面も挿入されるが、これを頭の中で鳴らせて納得いくなら、そもそも本書読むのに苦労しない。

ここではクラシックの元祖なグレゴリオ聖歌を基本として確認後、いっきに20世紀まで時間を飛ばす。間は自分で勉強してね、というスタンス。
完全を目指さず、あくまで概論の一部分。きっかけを提示して聴き手の好奇心をくすぐり、後ろに隠れた学問の広大な世界を覗かせる。
大学時代に受けた「一般教養」が、こんな感じじゃなかったかな。

音楽を勉強したいと思った。だけど楽器演奏に挫折した。
まして演奏技術なしで、音楽を勉強できるなんて想像したことも無かった。
だからこそ、こういう本を待ち望んでたんだ。

あとは自分次第。あとがきで菊地も書いている。
『本書は始まりにすぎない。「モダン」の総括としての。』
次に何を読もう。何へ興味を向けよう。何を知ろう。・・・何を実践しよう、って言えないのが悲しいなあ。

複雑なことを丁寧に説明できる人は少ない。特に音楽の分野では。
もっともっと本を書いて欲しいが・・・だけどジレンマ。本を読むよりも、ぼくは菊地のサックスをもっと聴きたいんだよ。

いずれにせよ。この調子で読者を掴んで行ったら、菊地はカリスマになりそう。
優れた教師って、熱烈な生徒を産んでもおかしくないじゃない。

さて。②鴻上尚史「ラブ アンド セックス」。本書は「本の旅人」誌に2002年から約2年近くにわたるエッセイを集めた。
鴻上のエッセイでよく採用されるスタイルで書かれてる。
古今東西の本から一つのセリフや場面を抜き出し、そこへ意見を述べていく。

テーマはずばり「セックス」。『セックスの問題は、まず、技術の問題として扱おう』を基点に起き、あくまでエッセイとして語られる。
いろいろと読みながら、考えさせられる本だった。頭に浮かんだ言葉はいくつもある。
しかしぼくは、ここで上手く感想を語れない。何を書いても、言葉だけが上滑りしそうだ。

そこで。どうか実際に本書をお手にとって、読んでみることを強くお薦めします。
大丈夫、文章はいつもの鴻上節です。すごく面白く読めますよ。

今夜のBGM:Lo Borges"Ela"(1979)

 ロー・ボージュスはブラジルのミュージシャン。70年代頃から台頭したMPB(ムジカ・ボプラール・ブラジレイラ)の一種であり、かつ「街角クラブ」と呼ばれたミナス州のサロン出身である。

 ・・・と書いてもまったく意味不明ですな。書いてる僕自身にも。資料丸写しがモロバレです。
 ぼくなりに理解してるのは、『ボサノヴァの次の「ブラジル固有のポピュラー音楽(で、たぶんMPBの訳になってるよね?)」の中でも、独特のお坊ちゃん的なスタンス』かな。

 どうやらミナス州ってのは金銀ダイヤが算出され、ブラジルでも比較的に富裕層がいた地方らしい。
 たとえばミナス・サウンドの代表的メンバーとしてミルトン・ナシメントが上げられる。しかしぼく、彼を聴いたことないんだよ。

 前置き長いね。この曲は彼のセカンド"A Via-Lactea"に収録。
 数年前頃にブラジルのオデオンが、レーベルを100周年を記念した再発シリーズにて、最近購入した。残念ながらCCCDです。

 ほんとはL"a"cteaの"a"には"´"ってアクサンテギュが入る。
 それを言うなら、Loの"o"にも"^"って、アクサン・シルコンフレクスが入るんだが。

 1stをリリースしてから7年後に、ローはセカンドをリリースした。その間、彼の人生に何があったか知らない。
 いずれにせよ、本盤でローは飛びっきりのポップスを聴かせた。ソフト・ロック好きな人はぜひ聴いてほしい一枚だ。

 ちょっと音がこもり気味なのは、マスタリングのせい?キチンとリマスターして発売して欲しいな。
 出来ればCCCDじゃない、通常盤で。

 今夜紹介する"Ela"だってそう。ベースがうねり、ドラムと絡む。そのグルーヴがばっちり。
 メロディは柔らかくはずみ、シンセと裏声みたいなハーモニーが優しく包む。いい意味で、隙のないポップスだ。

 この曲の魅力を実感したのは、思い切り偶然だった。

 実はぼくの部屋のステレオ、最近調子悪くて。しょっちゅう、片側のスピーカーが聴こえなくなる。
 なんか詰まってる感じ。どばっとボリューム上げれば直るからね。
 原因は端子の酸化による接触不良じゃないか、と推測してる。

 で。その片側スピーカーが潰れた状態で、この曲を聴いてたんだ。
 寝転がってたから、片方のスピーカーが死んでるなんて気づきもせずに。

 この曲、左チャンネルに大きく、ベースがミックスされている。
 なので右チャンネルだけで聞いてたら、すごくベースがモコモコしてるんだ。

 「なんか、しけたミックスだなー。アレンジも曲もいいのに」
 不満に思って、ステレオを調べる。あ、左から音が出てないじゃん。
 ぐっ、とボリュームつまみを大きくねじって、左チャンネルを生き返させた。

 とたんに、低音と・・・パーカッションの噴出!
 音のイメージが、とたんに鮮烈になった。

 完全に怪我の功名なんだ。
 とにかく、いきなり世界がカラフルになった瞬間の、嬉しさったら。
2004年09月12日 23時46分14秒


げげっ。
がおおお。がおがお。・・・仕事がバタついてるので、ちょっと吠えてみました。
しかしまた風邪引いたのかなあ。咳が止まらず、困ってます。

あー、HPの更新も止まっちゃってるなあ。ネタはあるんですよ。やまほど。テキストは書かなきゃいけませんが。
週末にはがんばりまっす。先週買ったCDの記録も書き終わってないもん。

さて、いよいよ日記です。・・・って、もったいぶってどうする。

ひさびさに焦った。
耳掃除してたら、思いっきり耳の穴を突いちゃった。痛いからティッシュで耳の穴を拭ったら、けっこう血がついて驚いたの何の。

味覚も視覚も嗅覚も触覚も大切だけど、聴覚はしこたま大切なのに。
これで耳が聞こえなくなったらどおしよお、と青ざめながらティッシュでしつこく耳の穴を掃除してました。

鼻の穴は、ちょっとやそっと血が出たってほったらかしとくのに。
同じ穴で、どうしてこうも対応が違うのやら。

結局、耳の横を引っかいただけみたい。いまのとこはたいしたことなさそうです。
血も止まったし。よかったよかった。

・・・なんかオチがないな、今日の日記は。

今夜のBGM:Supersilent"6,2"(2003)
 
 スーパーサイレントはノルウェーのジャズ・バンド・・・でいいのかな。思い切り即興に軸足を置いたバンドだ。
 詳しい経歴は上手く説明できませぬ。詳しくはM.I.Z.さんのサイトをご参照ください。世界中でたぶん、一番詳しく説明してあります。こういうサイト、作れるようになりたいなあ。もっと音楽聴かなくちゃ。

 さて、この曲。アルバム"6"に収録。文字通り、アルバムの2曲目だ。このバンドは思いっきりストイックで、クレジットもろくにない。まして曲名なんてもう。

 本盤では比較的、ゆったりと時間が流れる。ジャズというよりエレクトロニカを最初は聴いてるかと思った。
 しかしこの曲ではきっちりと生の演奏の醍醐味を味わえる。

 ドラムが拍子をわずかに感じさせつつも、自由で静かに叩く。ベースとキーボード(?)が音に厚みを出し、トランペットがもやっとエッジをぼやかせた旋律を、搾り出す。
 
 ぱっと聴いたときは、生演奏だと思えなかった。しかし聴くほどに良さが染み出す。音が抽出され、揺らぐ。ゆったりと。
2004年09月10日 23時52分12秒


はぅ。
前日は夜に移動のみ。翌日の夕方に東京へ戻る。そんなシンプルな出張だったはず。なのに連泊の事態となり、予定ズタズタ。えらい目にあいました。飛行機を使う出張はいろいろあって、予約の変更が面倒です。

夕べは仕事が長引き、寝たのは結局3時間だけ。まあ、帰京する飛行機でも寝たから、5時間近くは累積で寝てるか。

しかーし。明日は丸一日、スタンディングでの野外ライブを聴きに行く。体力続くんだろうか。すげえ不安だ・・・。

今夜のBGM:RiFf"There'll never be"(1993)

 10年前はこの手の黒人コーラスグループを、片っ端から聴いていた。新譜で気になったやつは、どしどし買ってたが・・・体系立てて聴く、という発想がないので詳しいことはさっぱり分からない。

今日はくたびれてるので、詳しい経歴は割愛させてください。アルバム" To whom it may concern"に収録。これがカバーなのか、どうかもわからない。

当時のコーラス・グループらしい、くしゃっと固まった和音でのハーモニー。プリンスの影響を感じるファルセット。んで、曲は軽めのミドル・テンポ。黒っぽさはほとんど無く、あくまでも軽やかなスタイルが身上です。

当時のアメリカじゃ、アイドルっぽい位置づけだったのかなあ。
なんてことない曲ですが、好きなんですよ、これ。
2004年09月04日 00時30分11秒


ありゃ。
電車に乗ってて、隣の会話が耳に入ってきた。会社の上司と部下かな。上司は五十がらみ、部下らしいのは20代前半くらい。

「・・・XXさんは妻帯者とちがって、そこらへん自由なんだよ。チョンガーだから」
「チョンガーってなんですか?」

・・・今の若いやつはチョンガーって言葉知らんのかい。そういや若手の同僚に「ロハ」って通じなかったときも、ジェネレーション・ギャップを感じてショックでした。
こうしておれは、おっさんの仲間入りをするんだなあ。しみじみ。

今夜のBGM:山本精一"1"(2001)
 今日も残業で遅くなった・・・。こういうときは静かな音楽が聴きたい。メロディもリズムもなく、静かな音が。
 本盤は完全なギター・ソロのアルバム。"NOA2"に収録された。

 エレキギターが無造作に爪弾かれる。余韻・・・静寂。次の音へ。
 構成もいらない。かといってノイズでもない。くつろげる。ほんとうに心が安らぐ音楽だ。
2004年09月01日 00時21分48秒


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