LIVE レビュー

見に行って、楽しかったLIVEの感想です。

2014/9/3   大泉学園 In-F

   〜25次元空間の入り口で考える猫たち〜
出演:shezoo+荒井皆子
 (shezoo:p、荒井皆子:vo,per)

  前回7/26から間をおかず行われたデュオ・ライブ。初手からshezooはピアノを弾きまくった。たしか前回はピアノのふたが空き加減だったが、今回はほぼ閉じた状態。
 荒井がスタンドからマイクを取る。今夜はエフェクター無し、自声のみ。ほぼハンドマイクで歌ったが、曲によってはスタンドにマイクを立てて、自らの立ち位置を変えて響かせ具合を調整した。
 荒井は壁に小物パーカッションをずらり並べるのは、前回と同様。

 だが選曲やコンセプトは、前回と変わっていた。

<Set list>
1.瞬間撮影
2.たしか坂で傘かした
3.猫の歌:おかし男の歌
4.My Favorite Things
5.What a Wonderful World
(休憩)
6.カニのカノン("音楽の捧げ物"BWV1079:Canon 1 a 2)
7.猫の歌:朝のまがりかどまがれ
8.supermoonに棲むウサギとゴミの分別を極めるマテリアルへのオマージュ
9.かるいきびんなこねこなんびきいるか
10.砂漠の狐
(アンコール)
11.G線上のアリア("管弦楽組曲第3番ニ長調"(Overture No.3 BWV.1068))

 (1)と(8)、(10)がshezooの、(2)と(9)が荒井の曲。(3)と(7)は"猫の歌"組曲から2曲を演奏した。オリジナルは波多野睦美(メゾ・ソプラノ)と高橋悠治。二人のコラボ盤2nd"猫の歌"(2011)に収録、初演は2010/10/21に波多野のコンサートに高橋が書き下ろした組曲らしい。なお詩は作家の長谷川四郎(1987年逝去)の作。長谷川が詩を発表した時期はネットで調べ切れず。全集に当たればわかるはず。
 (6)と(11)はバッハで(4)と(5)はスタンダード。後述するが、どの曲もアレンジを前回とガラリ変えていた。

 (1)のイントロはshezooのピアノ・ソロ。かなり長い時間、弾きまくっていた。うつむき加減で、そしてクラスターを多めに。彼女のクラスターは独特だ。乱打してても、どこか和音感を感じる。構成音が膨大な和音を聴いてるかのよう。
 荒井が歌を入れてもshezooは鍵盤を乱打する。ときおり奏でるピアニッシモのタッチがとても柔らかい。転がるように小さな音が鳴った。拍数が読めない。3拍子と4拍子の混在なような。

 改めてshezooの和音進行に幻惑される。詳しいことは分からないが、ひとときも繰り返してるように聴こえない。常に和音がガラガラ変わっている気がした。
 和音の響きって、こんなに一杯あったのかと思いながら聴いていた。

 (2)ではコード進行はシンプル。だがアクセントをめろめろにshezooが変える。音列が拍の表裏を微妙にズラし、浮遊感が漂う。冒頭で荒井がテンポとるようにshezooへ手を振って見せたが、shezooは拍頭や裏を取る気はなさそうだ。
 そのまま荒井が自分のテンポで歌いだす。中盤で荒井が金属質でドイツ語っぽいスキャットを叩きこむ。ピアノは左右の手がそれぞれ異なる譜割で、歌と併せてポリリズミックな展開が刺激的だった。
 この曲は"たしか・さかで・かさ・かした"と、3連で進みつつ1拍足りない。荒井は歌詞ある部分では3連符基調にしつつ、言葉の切る位置やテンポをグイグイ変えて小節感を希薄にした。

 (3)のshezooは断片的なフレーズを載せるのみ。荒井の歌が即興に変わると、リズム楽器が無い分、よけいふわふわと不定型なノリが漂って面白い。
 荒井が小物を鳴らしたのはここだったかな。リズムを刻むでもなく、空気へ味をつけるSEのように、次々とランダムに小物を鳴らしてく。
 中間部ではそうとうにフリーだったが、歌詞がきっちりある分、いがいと整った印象だ。

 逆に(4)から(5)にかけて奔放なアレンジが続く。(4)は荒井のアレンジと言う。平歌の最後で半拍足すような、妙なブレイクが瞬間的に入る。旋律がそこでつんのめるような効果を出した。
 コルトレーンの演奏で僕は(4)に馴染んでるが、今夜の演奏は冒頭からリズムのアクセントが真逆。畳み込むような感じ。
 さらにエンディングにかけて、なにか譜面に仕掛けがあるんだろうか。shezooはやたらニコニコしながら弾きまくる。終盤でぐいぐいドライブするグルーヴィなピアノを聴かせた。

 両極端が(5)。冒頭は、どフリー。ピアノはクラスターっぽい響きがめくるめく繰り出され、荒井も構造読めない自由なスキャットを噴出させた。荒井のスキャットは幅広い声域を生かしつつ、パーカッシブに打ち付ける。発声や口の形などを駆使しつつ、テクニカルな声の曲芸に走らない。あくまでも歌声を生かした。
 で、メロディが出てくると・・・今度はshezooがモロにコード弾きのみの、すごくオーソドックスなバッキングをする。崩し気味の歌い方な荒井に対し、ピアノはとってもスマート。前半はなんだったんだ。という、落差が面白いアレンジだった。

 後半戦はテクニカルな(6)から。shezooは左手のシンプルな伴奏から、右手を加え次第に音を増やしてく。前回はブレス位置が辛そうだった荒井も、のびのび歌ってた。
 中間はやはり混沌な即興へ。

 (7)はボヤっとしてて、あんまり覚えてない。荒井の歌声が印象に残った。
 そして前回初演の(8)。(1)のようにshezooの美しい和音進行に奔流に包まれる。 綺麗な曲からだんだんと複雑な響きとフリーな傾向に雪崩れてく。この曲はピアノを前面に出し、荒井は控えめに声を載せた。むしろ小物類を次々鳴らして、彩りを添えていた。
 とはいえドラムやパーカッションとは異なるベクトル。がちゃがちゃと次から次へ鳴り物を持ち替え、一音出しては違う音色で一音へ。横に置いた譜面やエアキャップ・シートを丸めてはほどき、マイク前で響かせてノイズを足した。そう、ノイズ的な発想かも。

 (9)だと逆にshezooの捻ったアプローチが強調された。荒井はあくまで歌を中心、特にこの曲はキャッチーなリフレインが続く。そこにshezooのクラスターまじりなピアノ。
 和音はshezooのオリジナルほど複雑に変貌しない。けれども抽象的なピアノと輪郭くっきりな歌声との対比は、それぞれの個性が際立って楽しい。

 本編最後はshezooの(10)。これも和音進行が、聴いててすっごく心地よい。冒頭は左手のみのアルペジオで、荒井が朗々と歌う。この左手だけで伴奏が成立する。ずっと聴いていたい。上昇した音列が下がる時には、違う音列になる。和音の表情がみるみる変わり、それでいて強烈な進行感と安定さだった。特にサビに行く時の、風景変わるさまが鮮烈だ。
 やがて右手が加わる。音の響きはさらに複雑に、心地よく鳴る。
 shezooの頭の中はどうなってるんだろう。よほど緻密に音選び、としか思えない。

 即興部分になると、ピアノ構成の強靭さが際立つ。どの曲だったか記憶あいまいだが、クラスター状態で弾きまくってるシーンがあった。
 ペダルはほぼ踏みっぱなし。どんどん重なる音が、塊にならない。次々に消えてく残響へ新たな音が重なり、じわっと広く広がるような音の波。あの響きは鮮烈だった。
 いろんな人のクラスターを聴いてきたが、shezooほど柔らかく心地よい和音感のクラスターは無かった。

 余韻に浸りつつ、shezooと荒井はアンコールに応えてくれた。しかも"G線上のアリア"。今夜は聴けないと思ってたから、嬉しい誤算だった。
 だけどアンコールでやるか、これを。

 この曲のアレンジは"無調"。
 つまり恐ろしく座りが悪い。荒井が朗々と主旋律を歌う横で、shezooは休みなく細かなフレーズでピアノを弾き続けた。前回ほど激しく無く、静かなタッチで。
 美しい主旋律の歌声が、ピアノの無調に塗られてく。荒井は気にせずに、ゆったりと歌う。ピアノの音列は着地点も進行も伺わせず、新たな音の粒が降り注いだ。
 楽しいな。
 荒井が即興に入ると、混沌さは底が抜ける。音の海に漂う。アタックは柔らかく、でも休みなく。

 エンディングを荒井が目で合図し、shezooは鍵盤の高音部へ指を進めて音を止めた。だが、終わった感じがしない。楽しいな。 
 気負わぬ即興が、バラエティ豊かに奏でられた。そして二人の凄腕っぷりを実感した夜だった。  

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