LIVE レビュー

見に行って、楽しかったLIVEの感想です。

2014/7/26   大泉学園 In-F

   〜25次元空間の入り口で考える猫たち〜
出演:shezoo+荒井皆子
 (shezoo:p、荒井皆子:vo,per)

 自然体のハイテクニックを堪能できた。けれんみ無く繰り出される音楽は素晴らしく複雑で、すっきりと耳へ滑り込む。予想以上にインプロ要素たっぷりのライブだった。
 
 shezooと荒井は今年3月8日のエアジンが初、今回が2回目の共演となる。ぼくは荒井を聴くのは初めて。オーソドックスに歌モノが連なるかと思っていたが、楽曲の中盤はどれもがグイグイと即興へ雪崩れていく。

<Set list>
1.Moons
2.カニのカノン("音楽の捧げ物"BWV1079:Canon 1 a 2)
3.夢見の時
4.ダイアローグ(ミクロコスモス No.65 )
5.G線上のアリア("管弦楽組曲第3番ニ長調"(Overture No.3 BWV.1068))
6.砂漠の狐
(休憩)
7.supermoonに棲むウサギとゴミの分別を極めるマテリアルへのオマージュ【新曲】
8. サマータイム
9. ブラジル風バッハ
10.瞬間撮影
11.かるいきびんなこねこなんびきいるか
(アンコール)
12.エンド・オブ・ザ・ワールド

 作曲者は(1)、(6)、(7)、(10)がshezoo、(3)と(11)が荒井のオリジナル。カバーとして(2)、(5)がバッハ、(4)がバルトーク。(8)と(12)がスタンダードで、(9)がヴィラ=ロボス。
 多彩な時代と地域の楽曲を、各人のソロを潤滑剤に統一した世界観へまとめた。

 (1)は前にライブで聴いたことあるような。伸びやかな歌声は、複雑な和音進行で優美に披露される。荒井の歌声は軽やかに響く。この時点では破綻無い上手い歌の人だな、とあっさり聴いていた。
 実は僕、ジャズボーカルは苦手だ。コブシやスキャットは各人で個性あるが、それがいったん耳に慣れないタイプの歌手だと、曲芸をひたすら聴いてるようで辛い。男で言うクルーナー・タイプだと平気だけど。
 荒井もスキャットを多用しており、どんなライブになるかと思いながら聴いていた。(1)ではまだ荒井もあまりフェイクさせず歌っており、むしろshezooのピアノが耳に強く入り込む。
 しっかりしたタッチで和音はふわふわと漂う。コーダの終わり方も不安定な響きが心地良かった。

 (2)あたりから荒井の個性がじわじわと際立ってくる。最初は単音ピアノとユニゾンで歌が寄り添う。MCで「器楽曲だからブレス位置が無くて辛い」と苦笑したとおり、速いフレーズでは音が抜ける箇所もあった。
 しかしメカニカルで跳躍するフレーズを、苦も無く歌いこなす荒井のテクニックに呆然とした。ユニゾンのフレーズに厚みを先に加えたのはshezooの方だったか。フレーズのテンポ感や旋律のムードはバッハを離れ、即興に向かう。荒井の歌声もいつしか自由になっていた。強烈なひととき。

 (3)は冒頭の荒井のスキャットから幻想的に行く。この曲あたりから特に顕著だったが、ふたりとも小節感がすごく希薄だ。ひとつながりに音楽が紡がれて、気が付くと即興に幻惑される。明確なソロ回しで無く、二人で自由に音楽と向かい合っていた。

(4)は楽曲部分が、まるでイントロのよう。どんどん中盤で楽想が展開していく。
 歌の途中で荒井が、横に置いたパーカッションを弄ったのはここだったか、次の曲だったか。玩具交じりの鳴り物を次々に手に取って、すぐさま別のパーカッションへ。ビートを刻むでなく、彩りを付けるように。残響ある鳴り物では、自らの姿勢や立ち位置を変えつつ、空間に響きを加えていた。
 荒井は足元にエフェクタを置き、楽曲の中盤で歌声へ深いリバーブを重ねる。

 (5)の猛然さに心躍った。「みなさんが知ってる曲です」と前田が前置きして、ピアノが鳴る。前田がまっすぐにメロディを歌う。
 歌声はフェイクなし。だがピアノが豪快にメロディを沈ませる。別に打音が激しく無くとも、メロディと和音の関係が思わせる。無機質なプラスティックの海のように、ピアノの和音へメロディが埋もれた。耳で歌声を追う。うん、すごく聴き覚えあるメロディだ。
 けれどもピアノが無調の沼へ、ぐいぐいと引きずり込む。穏やかで細やかなピアノが産み出す、その異物感と迫力がすごく面白かった。

 1stセット最後は(6)。ざっくりとシンプルなイントロに誘われ、滑らかに荒井の歌が響く。サビあたりでのセンチメンタルに畳み掛けるピアノのフレーズと、朗々と歌うクールさの対比がスリリングだ。
 しかし荒井の声域は広く、安定している。呟きからスキャットを駆使しつつ、危なげなくハイトーンを決める。テクニックひけらかしや、トリッキーなアピールは無い。ただただ歌う。素晴らしいセンスと確実な技術を、気負わずすんなりと披露した。

 今夜は各セットとも1時間強の長尺でたっぷり聴かせた。
 (7)は書き下ろしの新曲で、タイトル長くて覚えきれず。タイトルの説明をするshezooへ荒井がマイクを渡す。ゴミの分別へ意識的になったことがきっかけと、マイクもって熱心に語った。その中で「メロディを1次元、音の長さを2次元」みたいな表現が、とても示唆的で考えが色々めぐる。「なら”音量が3次元で、旋律が4次元”って例えられないかな」とぼんやり考えていた。
 楽曲そのものはロマンティックな印象。基本的にピアノ・ソロか。shezooの指がくるくると舞い、次々に魅力的な響きをピアノから引き出した。

 金属質な残響を響かせるパーカッションを手に持った荒井は、途中から静かに音を加える。立ち位置も変え、途中でドア前で響かせたりも。
 そしてマイクへ向かいメカニカルなスキャットを重ねる。たちまちに音楽上の存在感を増す荒井のさまが凄まじかった。

 間をおかず(8)へ。イントロ部分でピアノの弦が一本、いきなり飛んだのはここか。強く弾ける音に、荒井が後ろを振り向き苦笑して肩をすくめる。
 ここで荒井はリバーブに加えて、ハーモナイザーも。メロディと並行して低い声をエフェクタ経由で加えた。

 (9)もけっこうアドリブ部分が多かった気がする。主旋律の感じに1stセットでの"G線上のアリア"を連想していた。もちろんこっちではへんてこな響きは控えめ。エキゾティックなムードが和音とスキャットの双方で演出される。
 (10)は初めて聴くかな?(10)は50年代に"実験工房"を主宰した詩人、瀧口修造の作品へshezooが曲をつけたもの。それなりに長い尺で演奏してたが、「ピアノの和音が気持ちいいなあ」と思ってるうちに終わってしまった。

 最後の(11)は回文タイトル。帰って今日の楽曲群を調べてるうちに(2)と引っかけてるかと思ったり。メロディ部分の終盤でポップに弾ける旋律と併せ、指をくいっと捻る荒井のポーズがかっこいい。
 これまた楽しい演奏だった。荒井はハーモナイザーを連発し、機械の低音声をかぶせてグルーヴィに歌う。
 shezooはフリーに弾きまくり。こんなshezooのプレイを聴いたの初めて。クラスター風から乱打まで、止まらずに鍵盤の上を指が踊り続ける。shezooは弾きながら満面の微笑みで、すっごく楽しそう。にこやかな表情と、思い切りフリーキーな演奏のギャップが面白い。
 二人ともスピード上がって音数増えても、どこまでも整った美しさを残した。

 拍手が続きそのままアンコールで(12)を。タイトルを告げた荒井が、一呼吸おいてshezooへ視線を投げる。shezooは目を閉じている。
 指で合図を送る。それでも、shezooは目を閉じている。
 静寂の中、一つの伸びやかな音が。荒井が、歌っていた。
 ピアノが加わり、曲に向かう。たぶん僕はカーペンターズのカバーで聴いたことある。静かで、美しい曲。しっとりと、ライブは幕を下ろした。

 もっとかっちりした譜面もののライブかと思ってたら、意外な展開だった。そうとうにアバンギャルドで美しさ満載。二人のアイディアで充実したライブだった。また聴いてみたいな。
 

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