LIVE レビュー

見に行って、楽しかったLIVEの感想です。

2014/3/16  下北沢 cafe PIGA

   〜LiFeLiKe vol.83〜
出演:EveryoneMakesMistakes/BLANCKETer/庭野孝之/hidenori sasaki

 各人各様の表現スタンスに色々考えさせられる、刺激的で興味深いライブだった。
 4人がソロで、それぞれアプローチの全く違うノイズ・パフォーマンスを披露した。

 本イベントは主催者が(本日はEveryoneMakesMistakesでも出演)サブ・イベントとし06年立ち上げ。ソロや小セットを招き不定期に開催された。ぼくはたぶん、06年8月の第6回ぶりに聴く。
  主催者のメイン・イベントnatural giftは現在休止中のようだが、01年開始で11年8月に161回を重ねてきた。どちらもオムニバス形式だ。このイベントには何年前かに幾度も行っていた。普段全く触れない、若手バンドを聴けるのが面白くて。
 とにかく主催者の持続性に感嘆する。独自のシーンを作ってきたとも言える。過去、両イベントに参加したミュージシャンを軸に、本がいくつもかけそう。
 
 さて、本イベント。気の抜けた弾き語りフォークが(だれだっけな。思い出せない)BGMに流れる中、時間通りに始まった。この辺のきっちりさが、この主催者のイベントらしい。

hidenori sasaki(http://zootapes.tumblr.com/
 ソロではカセットレーベルZoo tapesを主宰し、DOMMUNEで"現代ノイズ進化論"も行っている。
 ライブで聴くのは07/11の吉祥寺GRID605にmetaphoric名義で参加したとき以来かな。

 4人中、もっとも開かれたイメージが強い。前説代わりに挨拶して、ターンテーブルのスイッチを入れた。ライブの途中で幾度も時計を見て、時間進行を確認する。
 機材はミキサーとあと一個(エフェクター?)、ポータブルのLP/カセット/CDプレイヤー。3つのメディアを駆使したダーク・アンビエントだった。とはいえどのメディアがどの音か、さっぱりわからない。

 アプローチはミキシングと変調。つまりDJ的でもある。鈍い音が空気を押し分け、甲高い音が重なっていく。でかい音を想定したノイズだが、ボリュームはほどほど。左右の小さなスピーカーから出るときに、ボリュームゆえに音が歪んでいたかも。
 いわゆる低周波や超高周波まで行かず、可聴帯域のみで勝負した。
 
 ビートはほぼ無し、20分ほどのステージ。暗黒世界が中盤で少し明るさを見せて、再び闇へ戻っていく、大きなウネるストーリー性があり。
 操作は肉体性が皆無だ。この辺に世代的な違いを感じる。たとえば第一世代ノイジシャンは轟音に気合を込める。メルツバウの静謐さも逆説的なパワーの象徴であると思う。
 僕の世代のノイジシャンはぱっと思い浮かばないが、若干覚めた視点でもまだ、肉体性を価値観に据えると思う。

 だがhidenori sasakiの演出は、まさに操作。Sachiko Mの観覧的な操作パフォーマンスとも違う。時計を確認しながら機材のツマミをひねり、LPの面を変える。DJの躍動性とも異なる。かといって虚無的ではない。無造作な自然体、だ。
 カセットやCDを取り出して交換する。ゆるやかに音の変化はあっても、操作と出音との連携は掴みづらい。つまり「なぜここでメディアを交換したか」の必然性を観客へアピールしない。
 観客へ奏者の自意識を意識させない。その一方で、観客を無視したパフォーマンスでもない。この飄々と突き放し感に、「世代の若さ」を強烈に感じる。

 出音で面白さの象徴が、途中でLPの針を再内円へあてたとき。そこから終盤まで10分くらい、LPの針を全く動かさない。レーベルすれすれだから、たぶん音溝は無いとだろう。
 プチプチいう針音のループでビート感を出すかな、と安易に考えた。ところが出音でさっぱりその音は聴こえない。最後の最後で他の音を絞った時、ノイズがうっすら聴こえたくらい。
 あの音量バランスとパフォーマンスが、猛烈に刺激的だった。
 
 すなわち。あの針の位置は暗喩か。まったく無意味か、偶然か。そもそも観客へ針位置を意識させたいのか。深読みもできるし、たまたまかもしれない。
 何だろう。
 機材を操るhidenori sasakiを見ながら、音楽へ耳を傾けていた。

庭野孝之(http://d.hatena.ne.jp/KNS/
 ソロ名義は03年11月の吉祥寺を皮切りに、前述の06年8月のLiFeLiKe第6回ぶりと思う。
 ステージングはストイックさの極北だった。機材で埋まった小さなテーブルの上をhidenori sasakiが片づけると、MacBookに小さな機材のみを同じテーブルに庭野孝之は載せた。いきなり絵ヅラがシンプルになる。
 MCも特になし。そのままライブが始まった。

 だが、あまりにも動きが無い。これはライブだろうか。ステージ上で庭野は身動きをしない。たぶんタッチパッドで操作と思うがMacBookに隠されて見えず。20分くらいのステージを通じ、音楽的な動きは二点のみ。
 一点は左手で機材を操作するしぐさ。だがこれも冒頭に少々弄った後は、10分くらい全く触らず。ようやく手にしたと思ったら、指は微動だにしない。
 小箱の機材からツマミを握ってると思しき、中指と人差し指の関節が見える。しばらく眺めてたら、5分後に10度ぐらい右へ関節の位置が動いてた。それくらい。
 もう一点は画面の照り返しで、ときどきふわっと庭野の顔が照らされる。それだけ。
 正確に言えば、もう一つ動きがあった。ときたま顔を撫ぜる。でもこれに音楽は関係あるまい。

 つまり出音と動きの関係が全く分からず、さらに操作の意味も不明なまま。操作っぷりすら見えない。しかし、音楽は続く。06年くらいから提唱する"iTunes演奏"だろうか。
  最近のユニットDENNIS DENIMSとも違う、スピード感ある音像だった。

 最初は数音のオルガン的なシンセの音を周波数操作、か。リバーブやディレイが重なってはすぐに変調される。左右に定位も飛んでたため、たぶん音加工と思う。もっとも「事前に作りこんだ音楽をボリューム調節してただけ」の当てぶりでも成立する。
 hidenori sasaki以上に、生演奏のダイナミズムと逆ベクトルのステージだった。
 
 途中からオーケストラを早回しコラージュのような音に変わっていく。いくつかの音サンプルを加工しつつミックスかも。
 ループとは違うようでビート感は希薄だ。ミニマルなパターンも敢えて繰り返しを避け、変拍子もしくはランダムさを強調した。

 観客へ意味やコンセプトの共有を求めない。観客の親近感や同調をあえて避けるがごとく。
 庭野の美学かも。彼の活動はなんだかんだで10年位聴いてるが、連続性を奇妙に外していく。多くのブログやサイトを立ち上げては動き、インターネットの各メディアを次々に渡り歩く一方で、そう簡単に活動の全貌が辿れない。
 いちばん、まとまってるのがここかな。http://d.hatena.ne.jp/nyaaaaaaano/about
 だがここでもpodcastで発表音源へ触れていない。

 このストイックなステージは意識的だ。『電子音が持つ匿名性に焦点を絞ることで各時代に内在するミニマリズムを接続しようとする姿勢を貫いている』と、あらかじめ自身のブログでスタンスを宣言している。

 サウンドとしては、最も好み。非連続の音塊を高速移動にて、疑似的なミニマリズムを提示する。着地点もストーリーも見えない。ランダムの渦に溺れる危険性をはらみつつ、無造作な腕力で煌めく即興の流れを作り上げた。 

BLANCKETer <from difficult X>https://soundcloud.com/okawara-keiichi

 初めて聴くミュージシャン。雰囲気は柔らかく、ノイズ的な歌ものをすると自己紹介した。今夜の中でもっともライブなアプローチで、不思議な存在感を見せた。3曲を演奏。
 
 エレキギターを小さなアンプで出し、エフェクターをたんまりかける。歪ませショート・ディレイで飛ばしつつ、リバーブをどっぷり。コードを変えても違いが分からぬほど、ひずんだノイズを出した。
 歌が始まっても、ほとんど聴こえない。PAバランスを超えて、本人もあまり歌でのメッセージを気にしてなさそう。
 
 彼もパフォーマンスは独特のストイシズムだ。「轟音ギターでノーフューチャーだぜ」みたいにパンキッシュなワイルドさも、自分の世界に籠るシューゲイザーな沈鬱さも無い。
 たんたんとノイズをばら撒く。アームを多用し歪ませた音を響かせた。

 2曲目は本来ならi-phoneで電車のがたごと音を流してライブをするそう。ところが「i-honeに音が入ってなく、想像してください」とMCして曲が始まる。これに衝撃うけた。事故かワザとか不明だが、そもそもi-phoneのデータ量をそんなに弄るものか。
 つまり。たぶんぼくなら、その手のデータをi-phoneから消したり入れたりしない。それだけi-phoneを容量一杯、日常で使ってるってことだろう。世代論で語れる次元ではないが、そのデータ管理体制に驚いた。

 ギターのディレイはループされ、そこへ高い音を単音でかぶせる。早弾きは無く、穏やかでノイジーな世界観が心地よい。

 ともかく、音は楽しめた。なにやら円盤のついたエフェクターが足元に置かれ、蹴り飛ばす途端に、音がハーシュに変貌する。
 3曲目は操作でかがみこんだ瞬間、アームが取れてしまう。構わずノイズを彼は派手に操作する。
 だが汗をかく肉体性はない。観客を拒否するそぶりもない。警戒させぬ仕草で緩やかな親近感を漂わせつつ、ふわっとノイズがばら撒かれた。

EveryoneMakesMistakes(http://n-gift.main.jp/top.htm

 トリは主催者のユニット。ライブは見そびれているがEveryoneMakesMistakes名義では06年より活動してる。
 たぶん彼の演奏は、07年10月にnatural gift(vol.123)でmetaphoricに客演を聴いて以来と思う。いわゆる自己名義の演奏だと、04年11月に新宿シアターPOOでのyokyo名義ぶり、かな。
 
 natural giftは歌ものギター・バンドがメインだった。ときどきノイズ寄りのバンドに傾く懐深さが魅力でもあった。ところが主催者は自分の音楽をやったとたん、非ミュージシャンなパフォーマンス主体になる。この半端無い強烈な振り幅が、興味深い。
 現代美術の文脈も成立しそうだがパフォーマンスを売りにせず、模索を見せるのがコンセプトか。

 庭野孝之の"バンド名しか存在しない脳で聴くバンドnnnooooonn"(http://d.hatena.ne.jp/nnnooooonn/)シャツを着た彼は、薄い上着を着た。
 マイクを立て、ギターアンプを置く。前の出演者BLANCKETerのギターを、そのまま借りる無造作さ。せわしげに立って水を飲む。
 マイクの一本から音が出ない。コードやつまみをひねる。結局、接続ミスのようだ。けれどもセッティングに戸惑う仕草そのものが、すでにパフォーマンスの一巻に見えてしまう。
 
 照明が落とされ薄闇の中、彼はスマホを取り出した。ループする音を出し、客席スペースにグイグイ歩いてくる。ぽんと置いて無言で去った。こんどはタブレット。リズム・ボックスのアプリを操作し、ぼくが座ってたテーブルの上に置く。せわしなくパターンを刻み続けるタブレット。
 さらにもう一つ、別の店内に違うスマホを置いた。店内三か所からちかちかとループが響く。
 椅子に腰かけた彼は、リーフレットを開いて朗読を始めた。何かの物語か。リバーブをどっぷり効かせた声は時々に緩やかに文字を読み、意味を融解させる。
 立ちあがってスマホやリーフレットを回収に行った。音を変えて、再び店内に置いて回る。

 マイクスタンドを客席スペースに一本。ディレイとリバーブ双方かかったマイクに、手拍子をせわしなく鳴らしリズムを作る。
 ステージに戻り、がしゃがしゃとガラスコップを横の机へ並べる。
 無言でいきなり、ステージ奥へ。がらがらと金属のパイプ椅子を通路に置いて行き、キーチェーンを手に持った。キーチェーンでガラスコップを鳴らす。金属メジャーを手に取り、通路に。鞭みたいに金属メジャーを振り回し、パイプ椅子に打ち付ける。
 ステージの椅子に座って、お菓子缶を出した。スティック持って軽快に、ランダムなビートを鳴らし始めた。
 マイクに向かって呟きを始める。奥深いリバーブを背負って。

 順番は違ってるかも。それぞれに連続性やストーリーは無く、無造作な一つの行為が断続する。たぶん、その場にいないと緊張感が伝わらない。
 何が起こる?どれに続く?今は何?これは終わる?
 解釈が通用せず、ひりひりした不安定な時間が静かに流れていく。

 40分くらいのパフォーマンスか。最後は何をして終わったか、良く覚えていない。
 だがひとつながりの時間の流れは、間違いなく面白かった。

 LiFeLiKeはnatural giftと違い、タイムテーブルは若干緩やかなようだ。肩の力を緩めた独特の緊迫感が興味深いイベントだった。また聴きに行きたいな。 

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