LIVE レビュー

見に行って、楽しかったLIVEの感想です。

2013/6/29  大泉学園 in“F”

出演:シニフィアン・シニフィエ
 (shezoo:p、壷井彰久:vln、大石俊太郎:ts,ss,fl、小森慶子;cl、水谷浩章;b)

 shezoo主宰バンドの初演。コンセプトは"現代音楽をカバーするライブ"。テーマを元にソロ回しでなく、あくまで譜面をshezooがアレンジして表現する。
 トリニテから壷井+小森が参加、大石と水谷が加わったメンバーは、譜面に強いテクニシャン揃い。
 shezoo曰く、この編成は2管+2弦+pを想定という。すなわちベースではなく、コントラバスとして水谷を位置づける。ジャズ的コンボで無く、いわゆる室内アンサンブルをイメージしたか。
 演奏前から譜面の整理に余念が無く、各奏者の前には楽譜がやまほど重なっている。

<セットリスト>(Shezooのブログより)
1.アルヴォ・ペルト"Spiegel im Spiegel"
2.バルトーク"ミクロコスモス〜第148番:ブルガリアのリズムによる6つの舞曲(1)"
3.バッハ"マタイ受難曲"より"39:Erbarme dich(憐れみ給え、わが神よ)"
4.リゲティ"ムジカ・リチェルカータ 7番"
(休憩)
5.リゲティ"ムジカ・リチェルカータ 11番"
6.バッハの"マタイ受難曲"より"57:Komm, susses Kreuz, so will ich sagen(来たれ、甘き十字架)"
7.「神々の骨」より"Dies Irae"
8.アルヴォ・ペルト"タブラ・ラサ:第一曲 Ludus"

 一曲目はアルヴォ・ペルト"Spiegel im Spiegel"だった。有名曲らしく、なんとなく聴いたことある気がする。
 shezoo+壷井+小森の編成は、初手からいきなり美しかった。
 ピアノのゆったりしたフレーズがミニマルに刻む上で、バイオリンとクラリネットがのびやかに旋律を奏でる。
 壷井と小森が一音を出した瞬間、ぴしりとピッチの合った滑らかな響きにゾクッときた。
 穏やかな空気が広がる。しっとりと、ゆったりと。壷井と小森がメロディを慈しんだ。

 大石と水谷も加わって全員で演奏の2曲目は、バルトーク。ミクロコスモスの第6巻、と言ったかな。No.148かNo.145だったか。この曲は良く知らず。
 たぶん、中盤はソロ回し・・・だと思う。ぴたりムードに合いつつ、世界を広げた。
 最初が水谷のリフ。ばいん、と強く指板を叩くジャズ風の鳴りが、クラシック奏者には逆に出せぬニュアンスかなあ。
 ベースが弾き始めた途端「え、そんなテンポ速いの」と壷井がつぶやいたのはご愛嬌。
 
 ぎっしりの譜面は奏者も大変そう。弾きすすむたびに譜面が静かに床へ舞う。
 改めて5人のダイナミズムにも耳が行った。ピアノからフォルテまで、各楽器はアンサンブルを聴きながら役割分担を変えるようにころころと前にでては引いていく。
 ピチカートのベースが淡々と、しっかりグルーヴする。
 アドリブかな、と思ったのはバイオリンのソロがしばらくたってから。プログレ風に後拍が力強く鳴る早弾き。あと、壷井が目を閉じて譜面見てなかったし。

 整ってアグレッシブなバイオリンのソロは、小森へつながる。たっぷりと弾きまくったバイオリンに比べ、クラリネットはちょっと短め。ブラジルやクレツマーをふっと連想した。
 キュートなクラリネットのソロが、テナーサックスにつながった。大石の演奏を見るのは、多分初めて。硬いリード使っていそうな、きっちりとクラシカルなテナーの生演奏は久しぶりに聴いた。
 冒頭は硬質なジャズ寄りのプレイ。しだいにロジカルさを漂わせ、ぐいぐいと音楽を引っ張った。

 3曲めがバッハの"マタイ受難曲"より。どのアリアかはMCを聴き取りそびれた。
 アレンジはp+vln+cl。作曲時期はぐんっと過去に飛ぶ。だが逆に、情感性はバッハのほうが強烈だった。
 シンプルなトリオ編成ゆえに、器楽だからこその落ち着いた雰囲気と、空気を強く揺らすセンチメンタリズムがすさまじい。
 たぶん、この楽曲はアドリブ要素無し。バイオリンの艶やかさとクラリネットの鮮烈さ、ピアノの清浄さが心地よいひと時を作り上げた。

 全編を通してshezooは無暗に前へ出ない。ピアノはくっきりと存在を提示するが、調和性を保った。ピアノのタッチがソフトで気持ちいい。
 1stセット最後のリゲティで、いきなりペダル踏んだ旋律が素敵だった。

 リゲティは"ムジカ・リチェルカータ 7番"。リゲティは聴いたこと無く、新鮮に味わえた。
 1stセットのクライマックスにふさわしい、素敵なアンサンブルだった。ピアノの性急なフレーズがミニマルに響き、やがてベースに移る。進むにつれ、このフレーズはフロント三人も交互に弾いた。
 この上を、主旋律がゆったり踊っていく。硬質な伴奏とテーマの抒情性のギャップが美しい。

 さらにアレンジも凝っている。壷井、小西、大西(ts)、水谷と主旋律が移っていく。
 続いて壷井と小森、大西と水谷のデュオ同士。そして各楽器がレイヤーのようにソロと伴奏を重ねてく。
 オリジナル曲は4分くらいのピアノ曲だが、演奏はもっと長かった気がする。モチーフを様々にアレンジし、順列組合せで複層構造に仕上げてたか。 

 休憩をはさんで後半セット。なおMCは基本的にshezooが担当した。あっちこっち飛ぶ話題へ壷井がさりげなく茶々を入れる形が自然に出来上がってた。
 ちなみに次の曲順をしょっちゅうshezooがメンバーに尋ねてたのが面白かった。曲順って、shezooが決めたんじゃ。

 shezooは特に譜面の量が多く、曲ごとに準備を整えるのに大わらわ。2ndセット最初で譜面が見つからない、と探してるときに壷井が「じゃ、その曲は喜んで演奏カットしましょう」と言い観客は大笑い。

 そう、この楽曲はどれもそうとうに演奏難しいらしい。2ndセット最初もリゲティ"ムジカ・リチェルカータ 11番"。
 シンプルだが不均衡で不穏なムードの響きで、硬質に全員編成で演奏した。この楽曲はもう、没入してて正直細かいとこを覚えてない。どの楽器も涼やかに鳴った。

 後半2曲目もバッハの"マタイ受難曲"より。どのアリアか、やはり忘れた。
 大西はフルートに持ち替え、水谷とデュオで演奏された。shezooのバンドなのに、彼女が弾かないアレンジに意表を突かれた。
 前半セットとは異なる涼やかさ。フルートは決して激しくならず、情感を巧みに操る。
 水谷は伴奏に留まらず、旋律を弓で弾きまくり。そうとう難しいらしい。終わった時、思い切り安堵の表情を漏らす。水谷なら軽々かと思ったのに。確かにシンプルなフレーズでも両手はバリバリ動いてた。

 さて、ここでshezooのオリジナル。「神々の骨」より"怒りの日"かな。ピアノは弾かない。後ろから譜面を、そして奏者を、凛とした目で見つめる。
 6/8拍子かな。二音のモチーフを、フロント3人を中心につむぎあげる。時折、ベースがアンサンブルに加わった。
 しっとりと鳴る二音。和音が安定と進行性を与える。ミニマルだが抒情的な曲だ。しみじみと音像へ浸った。

 次の曲でライブは終わり。やりたい曲はいっぱいあるそうで、アレンジが間に合わないとshezooがぼやく。
 楽曲はアルヴォ・ペルト"タブラ・ラサ"の1曲目。大石はソプラノ・サックスを持つ。
 クラシックと違うバンドならではの響きを強烈に感じたのが、これ。いわゆるコンサート・ホールの残響や静寂性とは異なる、ざわめいた躍動感がある。
 軋む響きが生々しく迫り、整った旋律がざらついた肉体性で耳へ飛び込んでくる。CDでしか聴いたことなかったが、改めて生演奏の素晴らしさを実感した。

 次回ライブは未定だがメンバー固定で継続活動を想定、という。いったんshezooが咀嚼した楽曲は、間違いなく新たな魅力を作っている。クラシックを下敷きのソロ回しでなく、あくまでアレンジ、が鍵。
 オリジナルの魅力を減じず、さらに価値付与するこのバンド、さらなる活動を強烈に期待する。 

目次に戻る

表紙に戻る