LIVE レビュー

見に行って、楽しかったLIVEの感想です。

2012/10/6   西荻窪 音や金時

出演:ル・クラブ・バシュラフ
(松田嘉子:oud、竹間ジュン:Nay,Riqq、やぎちさと:Derboukka、子安菜穂:vo)

 かなりひさしぶりに聴くル・クラブ・バシュラフのライブ。前半は器楽、後半は子安菜穂が参加の歌入りセットだった。前日にTwitterへ竹間ジュンが演奏予定リストをアップ。
 あらかじめYou tubeなどで予習を試みたが・・・うーん、驚くほどヒットしない。たぶん、検索ワードを上手く設定できてないとみた。とはいえ日本語のアラブ音楽サイトって、あまり見当たらない。
 
 竹間が投稿した文章を、全文転記。
 Today's programme : Longa Nahawand (Yoshiko Matsuda), Samai Ajam-ouchairan (June Chikuma), Samai Boustaniqar (Mohamed Triki), Amal Hayati (Mohamed Abdelwahab), Wasla mouwachahat rast : Al adhara - Ya hilalan - Ya chadil el han, Wasla hassine : Badabi qaddin - Ya qalbi otorokil mahna - man dhafar bil hikma, Lamounilligarou minni (Hedi Juini)

 当日のMCはやっぱりうまく記憶できずで、この通りやったかは不明。いずれにせよ曲順は上記と変えていた。たぶん、演奏順に感想を書いてみる。

Samai Ajam-ouchairan (June Chikuma),
 一曲目は竹間ジュンのオリジナル。Samaiはこのサイト によると10/8拍子の曲で4楽章形式、4楽章は3/4か6/4拍子が標準らしい。
 整って繊細なル・クラブ・バシュラフらしい演奏。淡々とやぎちさとがダルブッカを刻み、吸い付くように竹間と松田嘉子のフレーズが吸い付き、流れる。穏やかな曲調で、静かな展開だ。

 長尺のナイのタクシームが挿入される。これが味わい深い即興だった。
 タクシームのスタイルやマナーは良くわからない。けれども、奏者の自己アピールとは単純に言えぬ、不思議なベクトルを感じた。
 伴奏はウードの短いフレーズ。ダルブッカは手を休める。ウードのフレーズはリズム・パターンのように、シンプルで音数少ないミニマルなアプローチ。そこへ、自在にナイが絡む。
 
 きっちりとウードのリフがある一方で、小節感が非常につかみづらい奔放なナイのタクシームだった。フレーズの組み立ても単純な山なりストーリーではない。時に短く、時に長く。
 リフのパターンを裏から食うようにフレーズが踊り、ふっと休息する。ナイの倍音を多用したタクシーム。時折オクターブ裏返り、落ちる音がまるで無造作に次の音へつながる。

 西洋音楽に慣れた耳だと相当にトリッキー。しかしこのアンサンブルの文脈だと、独特の安定感がある。
 フレーズの流れも、全く読めない。ベースとなる文化構造に慣れてないせいか。
 ウードのリフを念頭に聴くとナイが幻想的にまとわりつくさまが素敵だった。

Longa Nahawand (Yoshiko Matsuda),
 松田の曲。同じくこのサイト を参照。ロンガとは単純な2/4拍子で、東欧やトルコのスタイルがアラブへ流入した形式を用いたらしい。

 短いウードのタクシームが挿入された。今度の伴奏はダルブッカだったか。
 ウードのフレーズ展開も、やはり西洋音楽のパターンと全く違う。この新鮮さが楽しい。
 穏やかながら背後にひそやかな熱気を持つ。軽やかにフレーズが素早く舞いながら、端正な面持ちを崩さなかった。

Samai Boustaniqar (Mohamed Triki),
 たぶん、三曲目がこれ。WikiによるとMohamed Trikiは1899年生まれ、チュニジアの作曲家。
 前半は3曲のみ。冒頭2曲終わったところで10分程度と短い。そのぶん、この曲はすべての楽器でタクシームを展開した。
 ナイ→ウード→ダルブッカ→レクの順だったと思う。
 
 ナイは冒頭曲のタクシームとはうって変わって、ブルージーなアプローチ。ブルージーと言っても、立脚点はあくまでアラブ音楽。つまりフレーズの流れが冒頭タクシームとは異なり、メロディアスで構築性が目立った。一曲目でのオクターブ跳躍フレーズも、ほとんど無し。
 ここでは牧歌的で短い旋律を解体し、展開していく印象だった。

 ウードのタクシームで竹間はナイを置き、レクを構える。ダルブッカがしばしばフィルを入れるのが新鮮。どの曲でもやぎは背筋をぴんと伸ばし、同一パターンを着実に叩いていくため。
 とはいえテンポは一定。ダンサブルなうねりは持ちつつ、ウードの速いフレーズが沈着に進行する。
 時折入れる竹間のレクがダルブッカと対照的だ。楽器を左手で胸の前に構えつつ、場面でレクの位置や角度がしばしば変わる。膝の上でダルブッカを端整に叩くやぎとの対比が興味深い。

 やぎのタクシームは最初無伴奏、途中でレクが加わった。高速フィルでタクシームが疾走する。めまぐるしく叩かれるが、荒々しさは皆無。
 リムと中央を指や手の側面を使って叩き分け、さまざまな音色を引きだした。

 最後がレクのタクシーム。今夜のライブで、もっともアグレッシブだった。
 リムのシンバルや打面の中央を叩き分け、旋律っぽさを志向する。ダルブッカでもそうだが、いわゆるパーカッション・ソロのテクニック任せの叩きのめしとは全く異なり、打楽器を使って歌ってるかのようだった。

 短い休憩をはさんだ後半に、子安菜穂が加わる。全4曲の演奏。
 全員が暗譜のル・クラブ・バシュラフだが、子安の前にだけ譜面が立つ。帰り際にちらっと覗いたが、歌詞カードのようだ。アラビア語でさっぱりわからない。さまざまな何らかのコメントや書き込みつきのように見えた。

 後半セットはまず2曲、両方ともメドレー形式。

Wasla mouwachahat rast : Al adhara - Ya hilalan - Ya chadil el han,
 このページ で説明あり。Waslaとは楽器と歌によるアンサンブル、の意味でいいのかな?
Muwashahはイベリア半島起源の歌で、単一繰り返し形式のことらしい。

Wasla hassine : Badabi qaddin - Ya qalbi otorokil mahna - man dhafar bil hikma,
 チュニジアの伝統音楽、マルーフとはアラビア様式音楽の一つらしい。アラブ=アンダルシアの音楽との記述もネットで見かけた
ここにちょっとまとまった説明あり。 腰かけたまま子安は歌う。メリスマ、こぶしの回し具合にまず惹きつけられた。いわゆる回すとき、首を横に振る。これが竹間がナイでこぶし利かすときと共通性あり。
 もっとも最近、演歌や民謡の歌いっぷり映像で見たことなく、あれが日本文化と違う、と決めつけるのは短絡だが。
 いずれにせよ子安は情感こめて歌い上げた。多彩な表情含めて、アラブっぽいのかな?知識不足で良くわからず。

 アンサンブルとの絡みも面白かった。ナイ、ウードとボーカルは基本的に同じ旋律を奏でる。
 だがウードが冷静に足場を固め、ボーカルと並行でナイが歌う。これらが太縄のように絡みあい、ひときわ骨太だった。
 ダルブッカも叩くパターンが旋律ごとに異なるときもあり、より複雑なアンサンブルになった。

Lamounilligarou minni (Hedi Juini)
 3曲目がHedi Juiniの曲。
 このページ によればJuiniは1909生まれのチュニジアの歌手で、1000曲以上の作品を残した作曲家でもあるという。
 いろんな単語の切り方あるが、"Lamouni ligharou meni"が一番ヒットする率が高かった。このアルファベットは何語だろう。

 ウードの短いタクシームが入った。アラビックながら構築されたメロディで、ある意味馴染みやすかった。
 今夜初めて披露のレパートリー、という。

Amal Hayati (Mohamed Abdelwahab),
 Mohamed Abdelwahabは1902年生まれ、エジプトの歌手/作曲家。近代アラブ音楽の始祖という。この曲は1965年作でエジプトの歌手ウム・クルスーム が初演。

 イントロは器楽のみ。かなり長い演奏で、いったん曲が終わりかける。そこから全く違う楽想でボーカルが入って、たまげた。
 子安の歌声はますます滑らかで、冒頭の陰りある雰囲気からぐいぐいと力強く広がった。

 このアンサンブルが特に良かった。歌とアンサンブルのアレンジも、複層的だ。ボーカルが滑らかに歌う一方で、合間にナイが数音の短いオブリを入れる。
 この装飾が西洋音楽に慣れた耳だと、きゅっとアレンジが締まって聴こえた。

 さっくりとステージが終わる。丁寧な演奏でアラブ音楽の魅力を的確に伝えるル・クラブ・バシュラフに子安のボーカルが加わって、さらに味わいが増した。
 ル・クラブ・バシュラフのライブを聴くたび、どんどんアラブ音楽へ興味が出てくる。

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