LIVE レビュー

見に行って、楽しかったLIVEの感想です。

2012/7/5  吉祥寺 バウスシアター

  〜第5回 爆音映画祭〜
出演:HairStylistics with 前田瑛未 無声映画LIVE『戦艦ポチョムキン』

 ヘアスタは何年も前にライブを一度見た。その後、作品も何枚か聴いた。いつも感じるのは、どろんと灰色なイメージ。ノイズの文脈で無気力や諦念をじわりじわりと表現する。

 その彼、中原昌也が無声映画に音楽をつける企画が、バウスシアターで行われるイベント「爆音映画祭」の一環で行われた。
 会場は21時15分の予定。だがリハが押しに押し、結局約30分後にようやく観客が中へ入る。ほぼ満席、100人以上は入ったか。
 入り口に短パンにTシャツ姿の中原が立っていた。サクサクと観客が席に着くなか、ふらりと中原がステージ前に現れる。携帯で時間を確認しながら、さっくりと上映+ライブが始まった。

 なお今夜はピアニストに前田瑛未も参加。彼女の音楽を聴くのは、たぶん初めて。ぼくは前宣伝をよく読まず、中原がピアノだけで音伴かと勘違いしてた。
 前田はピアノ曲を書き下ろした。ほぼ全編、空白無しに電子ピアノが奏でられる。クラシカルだが音数はさほど多くない。ミニマルだがくっきり物悲しいメロディがある。場面によっては、とてもきれいなメロディが印象に残った。

 誰が言ったか、「映画音楽は劇場を出たとき、印象に残ってないほうが望ましい」。つまり映画に没入するならば、音楽は無意識にとどまるはずだ、と。
 ところが僕は、最後まで常に音楽を意識しながら『戦艦ポチョムキン』を見てしまった。

 『戦艦ポチョムキン』を見るのは初めて。1925年製作、エイゼンシュテイン監督。すでにパブリック・ドメインになっており、映画そのものはネットで見られる。
 物の本、というかWikiによるとモンタージュ手法を確立し、グリフィス・モンタージュと双璧をなすそうだ。孫引きすると、エイゼンシュテインが言葉を映像に置き換え編集、グリフィスがマルチ・カメラで多面視点で表現、だそう。
 
 『戦艦ポチョムキン』の悪罵を並べても芸が無い。そもそも映画史に残る名作を素人が批判するのもなあ。とはいえ端的に書いておく。
 まず余計なカットが多く、間延びする。10分、いや15分削ったら、集中力落ちたぼくでも楽しめるだろう。
 登場人物とストーリーに知性や理性を感じられぬ点も辛い。どいつもこいつも、思いつくままかい。膨大なエキストラの意味のない動きも辛かった。冒頭の反乱指導者ワクリンチュクの死体を前に嘆く人の後ろで、視線も投げずにぞろぞろと通り過ぎる人たちは、何のために歩いてるんだ。せめて、視線を投げろ。

 史実をなぞったためだが、なぜポチョムキンは終盤で中央突破を図るんだ。補給路が無い反乱ならば、なるたけ陸地から離れぬほうがよさそうな気もする。
 なぜ中央突破したかは、wikiでポチョムキン反乱を調べるとわかる。

 まず悪口を書いたが。一かゼロかで言うと『戦艦ポチョムキン』はすごい、と思った。
 ほぼ100年前の映画。なのに鮮烈な場面がいくつもある。膨大なエキストラを駆使し、動きと迫力ある世界を見事に表現した。社会主義プロパガンダの点でも、盛り上がるのは分かる。
 つまり。見ながらつくづく、自分が歳とったなあと思った。秩序が欲しい。理性が欲しい。艦橋にやたら人が群がるシーン見てて「何の意味があるんだ」と呆れ、オデッサの階段シーンで銃撃する兵隊は「あれで鎮圧のつもりか」と冷めてしまう。

 エイゼンシュタインは本質、エンタテイメントの人なの?魅力ある風景、設定、スピード感を表現したい気持ちが、びんびん伝わってくる。破綻あっても、勢いで楽しんでしまった。
 駆け抜ける海原の爽快感、激しいピストンでの動力機関が躍動し、膨大な人々がバラバラな動きで多層リズムを作る。もちろん、乳母車がゆっくり転げるシーンのスリルもすごい。階段冒頭シーン、腕のみで駆け抜ける人のスピードと対比するかのように。

 そう、『戦艦ポチョムキン』はオデッサの階段シーンが有名という。事前にこの部分だけYou tubeで見て、ヘアスタがどんな音をつけるか楽しみだった。

 スクリーン向かって右に中原、左に前田が座る。前田は譜面をずらり並べ、おそらく即興要素はなかった。
 中原はテーブルの上に各種機材、背後に金物をいくつかぶら下げる。上映始まるなり、マレットを持った。途中でピアノの音がひしゃげるシーンもあり、中原自身が音色を加工していたのかも。

 全編を通じ、中原は実に丁寧なスタンスで音を付けた。最初はピアノだけ。中原は静かに画面を見つめる。背後で小さな電子音。パルスがゆったりビートを刻む。ピアノとテンポは微妙に違う。ミニマルなピアノの旋律とポリリズミックに電子音が絡み、拍の前へ、後ろへ、ビートが揺らいだ。

 ハンモックに寝てる水兵を士官が叩く。全く同じタイミングで一音、ぽかんと中原は金物を叩いた。見事なシンクロ。

 場面が進むにつれ、じわじわと中原のノイズが増える。音量はさほどでもない。BGMはピアノのほうが目立つ。甲板をうろつく人々を機会にたとえるかのように、金属質なノイズが膨らんだ。

 章ごとにピアノは曲が変わっていく。中原は場面ごとに音像を変えるが、自己主張はさほど強くない。淡々と、停滞する雰囲気を演出した。
 どの場面だったろう。ぐんっと音量が上がり、低音が体にしみこむ瞬間が印象的だった。ノイズの激しさより、音量のダイナミズムや音域を効果的に操った。

 最も盛り上がったのは、やはりオデッサの階段シーン。ピアノの高まる音以上に、中原のノイズが激しくなる。銃で倒される民衆の映像が映される中、中原は金物を連打し絶叫した。
 綺麗なピアノのメロディが繰り返される。それを押しつぶし、激しくかき回す、ノイズ。

 映画そのものは、とてもあっけないクライマックス。スタッフ・ロールも無い。すかさず客電が付き、中原の簡単なあいさつで幕となった。
 企画は良い。映画の歴史に残るだけの理由ある、と痛感した。ある意味、ヘアスタの印象が塗り変わらぬライブではあった。とにかくまた、この企画はやって欲しい。

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