LIVE レビュー

見に行って、楽しかったLIVEの感想です。

2011/5/13   大泉学園 in-"F"

出演:黒田京子トリオ
 (黒田京子:p,喜多直毅:vln,翠川敬基:vc)
 

 バイオリンが太田恵資から喜多直毅へ変わった、新生黒田京子トリオの初ライブ。黒田と喜多はデュオで、翠川敬基と喜多は緑化計画で共演を重ねてきたため、組合せとしては、違和感無い人選だ。
 今回、彼らは共演セッションの一呼吸を置かず、いきなりバンド名義で活動を開始した。

 ライブに先立ち黒田は、Webでスタンスをこう明らかに書いた。
『ジャズあるいは即興演奏において、問題なのは楽器ではなく、「その人」であることは言うまでもありません。(中略)喜多さんは太田さんの替わりなどでは決してありません。(中略)まったく別のトリオです。』

 そんなトリオの音楽はどんなものか。楽しみにライブへ向かった。
 前トリオで黒田はリーダー名義でありつつも、イニシアチブをとるまで時間をかけた。 バンドへ多くの楽曲を提供しつつも、アンサンブル上での指示を出すことはなかった。 
 セットリストからして、黒田の明確な意思を感じる。最初に、トリオが最も得意とする即興。さらに立ち位置を示す選曲で、多くの新曲を投入した。
 コンセプトの一つである、富樫雅彦の曲ももちろん演奏。前半は黒田がアレンジしたモンポウの作品。後半は富樫雅彦の曲でまとめた。富樫の曲は黒田がMCで曰く、すべて今回初めて演奏するという。

 即興演奏とコンセプトを踏襲しつつ新たなステップを、この黒田京子トリオは明確に打ち出した。

 1stセット最初の即興は三人の個性が強く出た。そしてライブが進むにつれ、演奏へぐいぐい引き込まれる。アンコールが終わったとき、このアンサンブルの可能性をひしひしと感じた。

 メンバー紹介の直後、いきなり翠川が音を出す。すかさずほかの楽器も加わった。
 その即興は、喜多のアプローチが強烈にアンサンブルから飛び出して聴こえた。
 目を閉じ、口を軽く開ける。バイオリンは肩で支える感じな、喜多の独特なポーズ。しっかりしたメロディはほとんど弾かず、楽器を"音を出す装置"として扱った。
 
 黒田と翠川のバランスはさすが。ロマンティックさと前衛性が交錯し、ソロ回しを突き抜けたアンサンブルへの構築度が産まれる。
 黒田のピアノはオーソドックスなフレーズやバッキングをあえて選ばない。図抜けて個性的なピアノだ。それなのに、強烈な安定感を作る。
 さらに耳を広くあけ、共演者の演奏を積極的に取り入れる。黒田は鍵盤から手を離し、二人の音へ耳を傾けることもためらわない。

 翠川は特殊奏法を多用し、チェロからさまざまな"音"を出した。一方で根底にメロディアスさを強靭に持ち、時折柔らかなボウイングで深い音を奏でる。
 グルーヴとアヴァンギャルドな脱ビートを共存させた。
 ノイズとメロディを並列に操り、クラシカルな重厚さも兼ね備える。
 多様な要素を平然と提示する、底なしのアプローチが翠川の魅力だ。

 ある意味前トリオで黒田と翠川は、根本でエンターテイメントよりも音楽を追求していた。だから太田の人懐っこさと、幅広い音楽性がトリオをうまく機能させていたと思う。
 前トリオの話は、ここまで。ここからはすべて、新トリオの話をしよう。

 翠川と黒田が奏でる即興の上で、ぼくは喜多のバイオリンがひたすら異形に感じた。
 10分くらいの即興で、喜多は一度も音を止めない。もちろんソロ回しのありふれた手順を三人はとらない。
 そこで喜多は黒田にも翠川にも寄り添わぬ、清冽なサウンドを提示した。

 バイオリンはめまぐるしく左手が動き、スピーディなフレーズをばらまく。しかしチェロやピアノがサウンドの主導権を取っている時も、だがバイオリンは鳴りやまない。
 決して響かせずとも。弓で弦を静かにこすり続ける。サウンドの展開に引っ張られず、ひたすらドローンで音を出し続ける場面も頻繁にあった。かなりハードな手段も積極的に取る。ミニマルな展開をアコースティックなバイオリンのみで作った。

 ちなみにこの日の喜多はチューニングに苦慮していたようだ。一曲目の即興では逆手にとって、弾きながら糸巻をひねってピッチを変えるシーンも。
 曲感でも頻繁に、チューニングをしていた。

 2曲目以降は譜面。前述のようにモンポウを黒田がアレンジしたという。はっきり曲名が聞き取れず、どれかは不明。"ひそやかな音楽"から何曲か抽出してた気も。
 モンポウはピアノ作品のイメージが強かった。この日選ばれた曲の、もとの編成は知らない。しかしあえてピアノ・トリオ形式でモンポウを選んだのはなぜか。興味深い。

 テーマから即興へ。か細く、繊細な響き。テーマに縛られぬ即興だが、曲を演奏していることは間違いない。この点、とても黒田京子トリオらしい。
 冒頭のメロディを喜多は、譜割を大胆、しかしそっと弾いた。バイオリンがきしむ。太く響き渡るバイオリンを、存分に聴きたくなるほどに。

 翠川が頻繁に特殊奏法を交えた。座ってる席から翠川の姿が見えづらく、どういう奏法かいまいちわからず。しかし弦を鋭くはじき、時に軋ませる。ほとんどがボウイング、たまに指弾きだったみたい。

 喜多も駒ギリギリで弾いたり、弓で弦を叩いたり。翠川とつかず離れずでトリッキーな響きがいっぱい。
 それを黒田のピアノが思い切り受け止めた。パターンもバッキングもせずとも、黒田のピアノは懐深く応える。あらゆるチェロとバイオリンのアプローチをふくらませた。

 前半の譜面は3〜4曲かな。一曲終わったところで翠川が次の曲を確認する。
「この譜面の右側?なら今、やったじゃん」というような、大胆な発言。全然違う譜面見ながら、一曲やってたのかなあ。
 ともあれアンサンブルは1stセットが進むにつれ、溶けてきた。
 喜多は率先してソロを取りはしない。常に鳴っていながら、三人の楽器がつぎつぎに主役を交代した。
 即興ながら調和あるアンサンブル。特に1stセット最後の曲は、ロマンティックなムードが素晴らしかった。

 短めの休憩をはさんだ後半セットは、富樫雅彦の作品を5曲くらい。タイトルは失念。富樫のアルバムで聴いた記憶ある曲もあったが、印象は黒田京子トリオに塗りなおされた。

 冒頭の柔らかで自由なテーマの解釈、中盤での奔放で繊細な展開。それぞれ興味深かったが、特にエンディングの処理に今夜はぐっと来た。
 ある曲では、喜多が伸びあがって黒田とアイコンタクト、すっと弓で弾ききってコーダ。
 ある曲では、翠川がpppまでデクレッシェンドさせ、滑らかな終わり方を。
 素晴らしく効果的だった。

 後半セットでは潔く弾きやめ、音楽へ耳を傾ける喜多の姿も。
 ピアノは自由に駆け抜けた。バイオリンやチェロが奏でるフレーズと同じ譜割で、ぐいぐい和音の響きを変える場面。それと霧のような繊細なタッチで、高音部をはじいたスタンスが、特に印象に残ってる。

 最後の曲が終わったところで、アンコールの拍手。
 短めに、と富樫の作品が選ばれた。
 アンコールもさっくりと。ぐきぐきと硬質な響きだった気がする。

 互いになじみ深い関係がゆえに、トリオでいかなる変化をするか。アンサンブルの化学反応は、強烈な可能性ある。今夜のライブの中で、硬質さから繊細、滑らかさからトリッキーと、さまざまな振り幅を見せた。
 焦点を置く場所はいくつもあり、どこにも置かない選択肢だってもちろんある。

 即興巧者な黒田京子トリオが、どんな地平へ向かうか。今後の活動が楽しみだ。

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