LIVE レビュー
見に行って、楽しかったLIVEの感想です。
2009/7/19 原宿 VACANT
〜「Ensembles 09 休符だらけの音楽装置」:展示1〜
企画:without records
(大友良英+青山泰知+伊藤隆之/YCAM InterLab + 高田政義 +
α)
これはライブではない。インスタレーションだ。でも、ライブとして聴いたので、ちょっとここへ感想を書かせてください。
大友良英が東京で打ち出した一連の企画「Ensembles
09 休符だらけの音楽装置」の第一弾。7/4〜8/9まで展示される。限定DVDつきチケットも発売されたが、既に売り切れていた。
この展示のクレジットは、「大友良英+青山泰知+伊藤隆之/YCAM InterLab + 高田政義 + α」と表記された。過去に山口や仙台で発表された、ポータブル・アナログ・プレイヤーを使ったインスタレーションが、"without records"。過去の展示は見そびれており、楽しみに今日は聴きに行った。
会場は明治通りを超えて、ローソンを左に曲がったところ。道がよくわからず、このルートで向かった。細い道をとことこと。間違えたかなあと思ったころに、ふと会場が見つかった。元は古着屋だったらしい。
受付で入場料を払い、壁のドアから中へ。既に入場の時点から、妙に物々しく非現実感を感じてしまった。
階段を上がって、上へ。そこには予想を超えた、静謐でミニマルな世界が広がっていた。
これまでyou
tubeなどで見た映像から漠然と、ポータブル・プレイヤーがいくつも置いてあり、プリペアードによるノイズが折り重なるミニマルな重奏ノイズを想像していた。
しかし会場には、静寂があった。
会場の2階を全て使った。40畳くらいあるのかな?ここは。チラシには100台ほどのプレイヤーを使ったとあるが、あまり数量の実感は無い。数えなかったし、感覚的だが50台くらい、でも納得する。
スペースをゆったり使い、いくつかのブロックに分けてプレイヤーが配置されていた。
何台かはぐっと高く配置されている。プレイヤーが見えないほど。そしてほぼ一台一台の真上から、電球が吊り下げられていた。
第一印象は、「動いてないじゃないか」。
入った瞬間の、ノイズはある。けれども予想より、ずっと小さい。会場は配置されたプレイヤーの間を歩ける。ぐるっと回ってみた。ほとんどのプレイヤーが動いていない。
まさか、壊れてるのかな?
それにしては、響きがランダムだ。見渡しながら会場をうろつく。
驚いた。
いきなりプレイヤーが動き出す。止まる。個々の台があるときは同期し、あるときは並列に動いていた。
どういう制御だろう。実は今も、わからない。
最初は電源の位置すらわからなかった。
薄暗いなか、論理性解釈が困難な整合配置のプレイヤー群がランダムに動き、止まる。
電球の光が連動、もしくは独自に明滅して、世界を照らす。眩いときはほとんど無い。たいがいは、手元のチラシの字が読めぬほど薄暗い。
これはね、怖いよ。人がいっぱいならば、別。
ぼくはたまたま、観客が少ない時に展示を見た。しまいには、ぼく一人だけで展示を味わえる、幸福な十数分間すら得られた。
だからこそ展示が持つ、危うさも含めたスリルを存分に堪能できた。
無言で観客はプレイヤーの周りをうろつく。なかにはある一台の傍に座って、もしくは入り口付近の椅子に座って、静かに聴く。
観客の身じろぎが出すノイズは、床がたまに軋む音くらい。この会場は、その辺がアバウトだった。
後述する大友のインタビューでも触れていたが、大友はあえて完璧に作りこむのを避けたそう。
それならば"場"はどこでも良くなる。会場での様々な制約を受け入れて、設置するのがポイントだ、と。
さて、展示の感想。
ぼくはほぼずっと、会場の中をうろついていた。さまざまなプリペアード・ノイズが耳へ飛び込んでくる。
制御方法を考えながら。でも、わからない。電源周りを複数にわけ、デジタルで電圧量でも制御してたのか。
全体のストーリーがあるのかは不明。大友のブログでは「まったく同じ場面がない」と読んだ記憶がある。複数のループ制御で、全てが一致する場面はないのかも。
プリペアードされたプレイヤーは全体の半分くらいか。盤面が乗る部分に物をおいたり、縁に壁をつけたり。かたん、かたんと音を出す。
ほかには回転部分の横へ針をつけたり、盤面表面を引っかくノイズを使ったり。常にどの機械も動いてはいないので、音像の単調さは皆無だった。
プレイヤーそのものからノイズを出させ、PA制御はしてない。
さらに音量を絞って、生音で表記させる機材もあった気がする。
たとえば階段あがって入り口、すぐ左の小さな一台。盤面にハリガネを小さく乗せられ、くつくつと回転を続けてたやつ。しばらくは音が、前面に出なかった。
ところがやがて、くっきりとボリュームを上げて、ノイズを出していた。
この一台はかなり長時間、動いていた。ほかのプレイヤーたちが、あっというまに動きを止めてしまう一方で。
会場のプレイヤーたちが動く規則性は、わからない。明かりとも連動していない。
中央右の壁、4台並んだ白いプレイヤーは動きが連動してたな。
手前右の一台がぎぎぎぎっと盤面を4回ほどこすると、左のプレイヤーが2回、ぐごっと軋む。続けて奥左の一台がけこけこっと鳴り、その右がしゃくっと響かす。
ほんの1分くらいか。4台が連動して動くさまを、じっと見ていた。
ぼくが行ったときは、観客は数人程度。無言で見ていた。やがて、一人減り、二人減り。一人だけで展示を味わえた。
すごく幸福で、スリリングなひととき。たまたま、見張りの人すらいなかった。
今この瞬間、プレイヤーたちが出す音を聴いてるのは、ひとりだけ。
歩き回ってるから、全ての音を聴き取れてるかはわからない。味わえてるか、わからない。
プレイヤーそれぞれに防御カバーがあるわけじゃない。もし、つまづいてコケたらどうしよう、という不安。
場の味わい、バランスも全て独占してしまうスリル。たぶん、10分くらいの間だと思う。極上のひとときだった。
プレイヤーは唐突に動き出し、止まる。個々の動いてる時間は、かなり短い。空白と静寂を生かしたインスタレーションだった。
だからこそ、入り口階段近くの小さな一台。けなげにくるくると回り続けるさまが、強烈にキュートだった。
たぶん40分くらい、会場にいたと思う。他の観客が入ったのをきっかけに、会場を出た。歩き回るのにくたびれたのが、本音。
ぺたんと座って味わうなら、1時間や2時間でも十二分に味わえる音楽だ。
あとは集中力と好奇心しだい。ずっと聴いてていいんだろうか。プレイヤー・ノイズに浸ってしまうより、現実に向き合わねばいけないんじゃなかろうか。
妙にセラピー的なことまで、頭がめぐってしまう。
酩酊する快感が展示から漂う。明確な始まりと終わりが無い分、後を引く魅力だ。
物語性を、どの時点からでも始められる。
一台が動き出す。明かりがともる。やがて別の一台が他の一台と混ざって、電球の明滅と交錯する。
さっきが始まりか。いや、終演のきっかけだったのかも知れない。すでに別の軋むノイズが空間を切り裂き、新たな物語の始まりを呼び起こしてる。
プレイヤーの一台が動く時間は短くとも、波及し膨らむ世界は、さまざまなスパンを持っていた。
会場を出て、一階に。一回の奥にもモニターがあり、大友良英のライブ風景や、会場設営のさまを移していた。
一台で大友良英のインタビューを流し続けてた。これも10分くらい見てたが、終わりにならない。かなり長尺だ。
大友は椅子に座って、微笑みながら熱っぽく展示への思い入れやコンセプトを語っていた。休符とは、音楽とは。このインタビューを見るのも、貴重。
ちなみにあたりには他のポータブル・プレイヤーもあり。いきなり動き出さないかな、と思ってたがさすがに叶わず。
会場を出て、竹下通りを使い駅へ向かう。なんも考えず、まずった。人ごみでまともに歩けやしない。
今見たばかりの展示を頭に浮かべながら、歩く。全員が同じリズムで歩くわけではない。互いがてんでのテンポとパターンで歩を進める。これが音楽だったら、ノイズを持って明確にビートと重なったら、どんな響きだろう。
もちろん、街からはすでにさまざまなノイズが溢れる。
今見た展示に頭を切り替えて、人ごみを音楽として解釈する。
・・・途中で人ごみがいいかげんイヤになって、違う道にそれたけれど。