LIVE レビュー
見に行って、楽しかったLIVEの感想です。
2007/11/24 明大前 キッド・アイラック・ホール
出演:Wandelweiser Weekend
(Antoine
Beuger:fl、Radu Malfatti:tb、Manfred Werder:harm、杉本拓:g、宇波拓:pc)
極端に音の少ない演奏を志向する、ヴァンデルヴァイザー楽派。一度聴いてみたかった、ラドゥ・マルファッティが出演と知って会場へ向かう。
この日はキッド・アイラック・ホールで4daysの3日目。
なおイベントの2日目から、出演する学派の作曲家へ、一人づつ焦点を当てる企画。本日はマルファッティの番だった。後で調べると今回のイベントで来日した3人は、楽派の主要作曲家だった。サポートに杉本拓と宇波拓がつく。
会場も初めて行く。ホールと銘打つので、座席の劇場形式と想像してた。実際は予想以上にこじんまりした、フラットなスペース。小さな折りたたみ椅子に座るため、図体でかいとつらい。客席は40人分ほど準備。若い男性を中心に、きれいに満員となった。
会場へ入るとアントワーヌ・ボイガーが静かに木製フルートを吹いていた。ほんのりクラシカルなフレーズ。音程が下がらぬように、の配慮か。
やがてマルファッティも姿を見せた。トロンボーンをそっと鳴らし始める。ときおりなにやら、二人で談笑した。今日は空調を切るとかで、開演前にホカロンが配られたのがユニーク。実際はコート着てたら、さほど寒さは感じず。
開演が17時と、かなり早い時間から幕開けとなった。
<セットリスト>
1.Kid ailack 5
(休憩)
2.Improvisation
(休憩)
3.Kid ailack
5(再演)
(1)はマクファッティの作曲。書下ろしか。(3)は後述のようにアレンジを変え再演された。
各セット50分程度。かなり長尺のライブだが、どれも極端に音が少なく、精神的な飽和感は希薄だった。
開演を10分ほど押し、メンバーがステージへそろう。杉本拓が前もってエアコンのスイッチを切った。静寂の中、始まりを静かに待っていた。
中央に座ったマルファッティがストップウォッチを掲げると、他の4人も揃ってストップウォッチを持った。指揮するようにマルファッティが腕を振り下ろし、いっせいに無言で時間合わせ。
ライブが始まった。
まず、静寂。数分間、無音が続いた。
他の4人は身じろぎせず譜面を見つめる。マルファッティのみ譜面台をいじったり、トロンボーンを構えたりとくつろいだ面持ち。
ついに静寂が破られる。おもむろに全員が楽器を構えた。静かに一音。
そして、静寂。
譜面をちらっと眺めることができたが、紙が縦にいくつか区切られ、最上部に1音のみ音符が書かれる。下はずらっとタイムテーブル。経過時間と、音を出す時間が記載されていた。
各音は"6秒連続"と書かれてた気がしたが、自信ない。実際の演奏も、個々の発音時間はまちまちな感触だった。
マルファッティは音を出すタイミングで、軽くトロンボーンの先を振る。しかし他のミュージシャンがそれを見ていたかは不明。かといって、譜面や時計をぎちぎちに見る緊張感も無い。どこか穏やかな空気が漂った。
音を出す時間より、空白のほうが圧倒的に長い。数分感覚で無音と音が交錯する。音を出すときは、同じ音を静かに白玉で。展開や盛り上がりは皆無。
演奏時間は長いが、空白が多く、密度は薄められた。
最初の曲では、揃って全員が静かな音を出す。ピアニッシモからピアニシシモ程度。
マンフレート・ヴェルダーは長さ数センチ程度の、ごく小さなハーモニカを吹いていた。杉本拓はエレキギター。音量はごく落とされ、四角い小さな箱をピックのようにギターへ近づける。
宇波拓はPCへ小さなキーボードをつなぎ、音を出した。
空白と、ときたまの揃った単音。これだけが、じっくりと続く。観客がわずか身じろぎする音よりも、奏者の音よりも、外から聞こえる会話や車のノイズが大きな音になることも。
ミュージシャンは淡々と表情を消して、演奏を続けた。
途中で眠気に耐えかね、15分ほど熟睡してしまう。ふっと目が覚めても、音像はまったく変わらない。ときたまな単音の、音程は変わっていたかも知れない。もはやそれすら、聞きわけられない。
また、単音を出した。ミュージシャン全員が静寂のまま譜面を見つめる。
ふっと脱力し、演奏の終わりを示した。大きな拍手。
10分ほど休憩を挟み、即興へ。
これも情け容赦ない、静寂と単音の交錯だった。
まずボイガ−がピアニシシモで単音を静かに。幾音か出す。トロンボーンを構えたマルファッティは、ボイガーが音を出し終わった後でかすかに吹いた。
杉本がギターを構えた。四角い箱をギターに近づける。同時に宇波がキーボードで低音を一音。天井から電子音が滲んだ。
互いの音を聞きながら演奏するが、アンサンブルのやりとりやメロディは皆無。単音と無音をそれぞれ操り、空気感覚を交換した。
10分ほどたって、初めてヴェルダーが体を動かした。横に置いた小さなハーモニカを持ち、かすかにひと吹き。ここまで彼はまったく音を出さず、演奏へ参加していた。
展開は(1)よりも若干動きがある。とはいえ無音の時間が圧倒的に長い。全員がリラックスした面持ちで、自由に音と空白を操った。
マルファッティはトロンボーンのミュートをひざにこすりつける音や、ベルにはめて指先を軽く押し付けて外すときのかすかな音も、演奏に取り入れる。奏者との間は数メートルしか離れていない。けれども、そんな極少の音ですら容易に聴こえる静寂だった。
宇波がキーボードで、発信音を1秒間隔くらいで数音、連続させる。それがこのセッションで、もっとも濃密で素早い連続音だったかもしれない。
杉本は途中でギターの弦を指で軽くはじく。メロディは決してつむがない。彼に限らず、全員が単音へ執拗にこだわった。
即興なぶん、音の音色はいくつかの音程を使う。そのため変化性はある。くつろいで耳を傾け、次の音を待つ。時間そのものを味わう、ある意味贅沢なひと時。むしろキリキリと音楽へ向かい合ったら、かえって不自然になりそうだ。
全員が音を止め、しばらく静寂。ふっと脱力し、即興の終わりを示した。
最終セットは1stセットの再演。今度はマルファッティのみがストップウォッチを見つめ、いきなり演奏を始めた。
といっても無音から発音のタイミングで先陣を切ったに過ぎない。
このセットでは、全員が音を出すタイミングをまちまち。時計を見ているそぶりも無い。PCで時間を確認できる宇波のほかは、時間間隔もカンで演奏していたのかもしれない。
単音が静寂の合間に浮かび上がる。今回は揃わず、それぞれがてんでに音を出す。交錯する単音は決して濃密に重ならず、たとえ音が重なっても空白と空間はひろびろと提示された。
無音が続く分、むしろ集中するのが難しい。頭の中を雑念がよぎり、ふと音を奏者が出してることに、改めて気づく。
滑らかな木製フルートのボイガーの響きが美しい。マルファッティは極少ボリュームで低音を吹く。宇波は鈍い電子音をそっと出し、杉本も音量は絞ったまま。
ヴェルダーはもともと、ハーモニカで極高音を搾り出す。音量は相当に小さい。
そんな音像の中で、ボイガーの音も十二分に小さいが・・・ひろびろと音が広がる環境で、彼の音色はひときわきれいに響いた。
譜面をどう見ているのか。時折マルファッティが丁寧にページをめくり、横へ譜面を重ねていた。
45分ほど経過し、しだいにそれぞれが演奏を終えたようだ。
宇波は手をひざに乗せ、身じろぎせず画面を見つめる。杉本はギターのボリュームを絞って、うつむいた。
ヴェルダーはハーモニカを横へ置き、穏やかに座っている。
ついにマルファッティも演奏を終えた。トロンボーンを下ろす。
ボイガーだけが単音をそっと出す。ただ一人残った状態で。あせらず、じっくりと空気を噛みながら。
5回。6回。幾度繰り返しただろう。休符をたっぷりとり、単音を出す。
やがて音を出す部分がボイガーも終わった。緊張を保ちつつ、ボイガーは譜面を見つめる。他のミュージシャンも動きを硬くしたまま。
ボイガーの譜面も、コーダへ到達したようだ。彼がふっと脱力し、全員が終演を確認しあった。
さすがにアンコールは無し。20時くらいか。もう30分早く終われば、次のライブへハシゴできた、と埒も無い考えが浮かぶ。
予想以上に音数が少ないステージだった。我慢比べとならないのは、どこか奏者たちに優雅さがあるからか。ロジカルに休符と単音を続ける譜面でも、デジタルな厳格さは薄い。
メロディも展開も消し去りつつ、前衛さをアピールする脂っこさも滲まない。
あくまで淡々と、音を出す。そんな趣き。
終わってみると、かすかで穏やかな充実感がまず残る。
そして"もっと音楽を聞きたい"、という渇望間がじわり湧き出る。
コンセプトのユニークさはわかる。CDでなく生演奏でこそのパフォーマンスだろう。同席する一体感だけでなく、自らの発するノイズが空虚を消し去る罪悪感も含め、ヴァンデルヴァイザー楽派の音楽が成立しそう。
なんにせよ、貴重なひと時を味わった。