LIVE レビュー

見に行って、楽しかったLIVEの感想です。

2006/5/13   荻窪 グッドマン

出演:クラシック化計画
 (翠川敬基:vc、塚本瑞恵:p、菊池香苗、沢田直人、金井康子:fl)

 クラシックを翠川敬基は、グッドマンで演奏し続けてきた。33年の歴史を持つグッドマンも、建物老朽化に伴い高円寺へ移転するとのこと。
 ここ、荻窪グッドマンでは、最後の"クラシック化計画"ライブになる。

 そのためか、冒頭のMCはしんみりした口調。
 翠川はチェロを持ってパイプ椅子に腰掛け、自分が出演したバンドの回想も含めてしみじみ語った。

<セットリスト>
1.ベートーベン:チェロ・ソナタ5番(翠川+塚本)
2.バッハ:?(沢田+金井)
3.フェルステナウ:フルート2重奏(沢田+金井)
(休憩)
4.カゼルラ:シシリエンヌとブルレスク(菊池+塚本)
5.モーツァルト:トリオ2番(翠川+菊池+塚本)

 相変わらずラフなセットリストですが、ご容赦をば。
 最後のモーツァルトもケッヘルくらい書きたいですが、調べ切れませんでした。

 まず翠川と塚本瑞恵による"ベートーベン:チェロ・ソナタ5番"を。わずか視線を合わせ、無造作に演奏が始まった。
 弓弾きの合間に一音だけ、ぽおんっとピチカートが入る。勇ましい旋律を想像するも、むしろロマンティックな曲想だった。

 なぜかこの曲では、チェロの響きに倍音っぽい鳴りが、山のようにまとわりつく。
 当然ながら生音だが・・・。たまたまこういう響きかと思っていたが、後半セットではふくよかに融けて、気にならなかった。なぜだろう。

 年季の入りまくったピアノは、相変わらず幾つかの音でホンキートンクな響きを聴かせてしまう。塚本は素早く譜めくりをしながらも、鍵盤へ落とす指は、あくまでそっと優しかった。

 翠川は振り幅大きくボリュームを操る。pppでは極端に音量を落とした。
 グッドマン厨房の音、店外の音。いや、観客が身じろぎする衣擦れの音まで。
 それらが耳に残るほど、翠川はpppでは音量を落とした。
 どれほど音量を絞っても、チェロはきっちりと旋律を歌った。

 (2)のバッハでは沢田直人、金井康子のフルート・デュオに変わる。
 白熱灯のみの明かりなため、譜面台の角度に苦労していた。
 最初は台を二つ並べて、大きく譜面を広げて吹く。金井の大きなブレスを切っ掛けに、ロジカルなバッハの旋律が流れた。

 めまぐるしくフレーズが動き、転がる。
 唇にきっちり吹き口をあてる金井、そっと唇を乗せるような沢田。吹き方一つとっても違う。
 そもそも二人の使うフルートは、違う楽器(調が違うのかな?知識不足ですみません)ってのも関係あるんだろうか。

 曲としては続く"フェルステナウ:フルート2重奏"のほうが、アンサンブルとして好み。二重奏として、二人のメロディが有機的に絡んだから。
 前半セットで40分強か。濃密に過ぎた。
 
 2ndセット最初は、カゼルラのシシリエンヌとブルレスク。菊池と塚本の演奏にて。
 とにかくポップな旋律だった。変な書き方だが、ヨーロッパ・プログレがぱっと頭に浮かんでしまう。
 もちろん影響受けてるにしても、時系列はまったく逆。カゼルラのほうが早いけれど。

 ヨーロッパでは入学の課題曲に使われることもあるそう。ダイナミックでストーリー性強い旋律だった。
 フルートの譜面を見る機会に恵まれたが、変拍子も含みめまぐるしく動く。怒涛の20連符が、ぱっと目にとまった。そうとうな難曲だそう。
 もっとも塚本も菊池も、無造作に軽々と演奏していた。

 ピアノも鍵盤を上から下まで全て使う。ひっきりなしに曲想が変わるが、根本のメロディがしっかりしているので、聴いてて振り回されない。
 特にこの曲は、CD欲しくなった。リリースされてるといいな。
 穏やかな風景・・・なんとなく雪に覆われた広い森の遠景を連想した。
 素早く音が飛び回っても、根本はゆったりしていた。

 最後は翠川が加わり、モーツァルトの曲。今年が生誕250周年にあたるそう。
「ちまたでは色々プログラムされているので、われわれもやってみることにしました」

 念入りにチェロがチューニングされた。塚本がちらりと翠川を見る。
 するするとメロディが溢れた。

 これもいい曲。身体がリズムを取る。今日演奏されたほかの曲では、椅子に深く腰掛け、耳を傾ける姿勢だった。
 ところがこの曲では、足や指でリズムを取りたくなる。クラシックとして正しい聴き方かはさておいて。メロディの滑らかさと、アンサンブルの精緻さに引きこまれた。

 他の曲で塚本は、譜めくりにずいぶん配慮していた。めくる速度はあくまで素早く、音楽に遅れぬように。
 もちろんモーツァルトでも素早いが、どこか優雅さが付け加わる。三人全員が常に 常に全員が全開で弾いてる訳じゃない。
 くるくると音の構成が変わる。こういう奏者の行為まで、モーツァルトは意識して作曲したんだろうか。
 あるときはピアノだけ、フルートだけ。チェロが白玉だけ。がっとアンサンブルが盛り上がり、ひらりと簡素な楽器構成へ戻った。
 どんどんアンサンブルは華麗に舞う。

 過不足なく、それでいてスリルも残る。
 2楽章だったかな。チェロが主導権とって、ユニゾンでがががっと、鈍い旋律で空気を切り裂いた瞬間がかっこよかった。

 いっきに駆け抜けて、今夜の演奏は終わり。アンコールはせず、すっきりと終る。
 
 クラシック化計画を聴くと、クラシックを聴きたい気持ちがむくむくと盛り上がる。普段、家で聴かないからね。
 奏者と数メーターしか離れていない、濃密な距離感。ほとんど残響のないデッド空間の響き。
 息を吸う音すら聴こえる贅沢な環境で聴くクラシックは、ホールよりも生々しい。

 プログラムもさまざまに変化をつけ、色々な時代のクラシックを味わえる。
 だからぼくは、普段クラシックを聴かないのに、なんども彼らのライブへ足を運ぶんだろう。

 しかしモーツァルトを聴きたくなった・・・10枚組くらいの安いボックスが、輸入盤でありそう。買おうかな。聴く時間があるかは、別にしてさ。

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