LIVE レビュー
見に行って、楽しかったLIVEの感想です。
03/8/24 代々木上原 ムジカーザ
公演:"季節は美しくめぐり・・・"
(gusuto-de-piro:語り:植田真美、椎名倫子、松浦このみ
+warehouse;鬼怒無月:g,etc、大坪寛彦:b,etc.、高良久美子:per)
gusuto-de-piro(グスト・デ・ピーロ)は女性三人の朗読劇ユニット。数ヶ月に一度、公演打ってるようだ。
今回は3日間で4回公演、劇伴にwarehouseを起用した。
行ったのは楽日。150人くらい入るスペースは、ほぼ満員だった。
<プログラム>
1.gusuto-de-piroの「好きな本」紹介
2.「悲しくて翼もなくて」大崎善生作(新潮社刊「九月の四分の一」より)
〜どうして君は歌うことをやめたのだろう〜
語り:松浦このみ
<休憩>
3.「ホテルカクタス」江國香織作(ビリケン出版刊「ホテルカクタス」より)
〜おかしくて楽しい日々は、すこし哀しく過ぎていく〜
語り:きゅうり(植田真美)、2(松浦このみ)、帽子(椎名倫子)
まず。今夜の主役はあくまでgusuto-de-piro。
warehouseはあくまで伴奏に徹してた。
日によって若干アドリブあるようだが、音楽はいわゆるソロまわしや即興で引き伸ばす部分が皆無。
以前に詩人と共演したライブみたいな展開を期待してて、ちょっと残念だった。
せっかくの起用なら短時間でもフリー要素をいれて欲しかった、というのがwarehouseファンのつぶやきです。
舞台はgusuto-de-piro用にマイクが3本たち、後ろにwarehouseがスタンバイする。
いつものようにぎっしり機材を持ち込み、高良は出入りに苦労していた。
鬼怒はエレキを一本にアコギを二本。足元にエフェクターを並べ、横にブルースハープを置く。
ウッドベースをメインにリコーダーを使うのが大坪。あとはカズーやパーカッションをときどき鳴らしてた。
そして高良がビブラホンとマリンバをでんっと並べ、横にシンバルやスネアなど。さらに小物も使う。シロフォンも仕込んでたかな。よく見えなかった。
冒頭はgusuto-de-piroが"最近気にいった本"を一節づつ朗読して紹介するコーナー。
warehouseのメンバー紹介も兼ねている。
朗読にあわせ高良、大坪、鬼怒の順で、静かにBGMを入れた。
このコーナーはたちまち終わり、松浦の語りによる「悲しくて翼もなくて」の朗読にうつった。
マイクは一本を立たせ、黒いワンピースを着た松浦がぴっと背筋を伸ばし喋る。
もとは50ページほどの短編を半分程度に再構成してるそう。最後まで何も見ずに語った。
照明は常に明るいまま。舞台演出は特になく、声と音だけで見せる演出が新鮮だった。
もっともこの会場、上方にスポット・ライトが数本あるのみ。もともと劇場じゃないのかも。
マイクを通した喋りのみが残念。どうせだったら生声で聴きたかった。
会場がこじんまりし、目の前で演者がいるんだもの。
gusuto-de-piroメンバーの経歴はアナウンサーやナレーターなど。
腹式の喋りだが、演じてて上下を切るわけでもない。
視線すらほとんど動ず。ただ淡々と朗読。これが奇妙な緊張感を産んだ。
「悲しくて翼もなくて」の内容を、簡単にまとめると・・・。
北海道と東京を舞台に、男女のほのかな出会いを綴った物語。
"ツェッペリンの「ロックン・ロール」を公園で、アコギを弾いて歌う女子高生(だっけ?)"ってイメージが、とびきり鮮烈だった。
この女性をロックミュージシャンを目差す主人公の男が見初め、自分のサークル・バンドへ誘う。
ゆくゆくは東京進出を目差す男だが、上京は女性に拒否される。
男自身もミュージシャンの夢は挫折してしまう。
いっぽう女性は北海道でアマチュアながら人気を集めていた。
「8/3 ラストライブ」とだけ書かれた、女性からの葉書が届く。
まだ彼女は25歳のはず。なぜラストライブなのか。
男は北海道へ帰り、ライブへ行った。
そこにはぐっと実力をつけて、猛烈なハードロックを歌う彼女の姿があった。
アンコール。彼女はアコギをバックに自作らしきバラードを歌う・・・。
記憶便りなので細部は違ってると思います。ご容赦を。
warehouseはポイントでBGMを入れる。
ひっきりなしに台本(譜面?)をめくるとこみると、入る部分は細かく指定されてたみたい。
聴きどころはこの話のテーマソングとも言える、ZEPの「ロックンロール」。
これを鬼怒がアコースティック・ギターで弾いた場面でしょう。
アコギをエフェクターで歪ませ、ゆっくり静かに・・・しかしヘヴィに。
鬼怒はサムピックとボトルネックで「ロックンロール」を弾いた。
あと、高良のセンスにも舌を巻いた。
マイクを通してるとはいえ、この日のBGMはかなり消音系。
ロックバンドのライブシーンで、鬼怒はエフェクタを通したアコギでエレキギターを表現する。
いっぽうの高良はプラスティックでササラ状のスティックを使い、シンバル一枚とスネア(ティンバレスかな?)だけでドラムセットを表現した。すごい。
しかし原作者はほんとにツェッペリンが好きなんだろうか。
細かい部分で地の言葉選びに違和感あり、聴いてていまいち引っかかる。
好きならもう少し、ほかのミュージシャンやシーンの動向にリアリティあってもおかしくないのに。
gusuto-de-piroの狙いも、もうすこし絞りこめるのでは。
せっかく生バンドの劇伴を入れるなら、さらに効果的な見せ方があるはず。 たとえばこの舞台のエンディングを、少女のラスト・ライブシーンで終らせるってのはいかがでしょう。
実際にはこのあと、しばらくメロドラマっぽいストーリーが続く。
台本がオリジナルなら別だ。
が、物語はすでに存在するんだから、ストーリーを追いたければ小説を読めばいい。
朗読と音楽の魅力をもっと前面に出してほしかった。
舞台のカタルシス優先でいいよ。物語なんて破綻したってかまわない。
朗読にこだわってるのか。もっとwarehouseを生かせたのでは。
ちょっと休憩して、第二部。
ストーリーは普通の日常を綴るが、キャラクターを抽象化しファンタジーっぽさを出している。
生真面目な公務員の「2」、ちょっとボケた筋肉野郎の「きゅうり」、風来坊っぽい「帽子」・・・だったかな。
オムニバス形式で掌編を重ねて世界観を出す。
たしか「タイプの違う3人が、仲良くなるまでの物語」と前置きされた。
そのわりに最後は3人が、それぞれの世界へ旅立つシーンだった気もするな。
マイクが3本立てられた。ラフな服装に着替えた三人が、椅子にちょこんとこしかけ朗読する。
今回は全て台本を見ながら喋った。
3人がそれぞれ台本を掲げる位置や、コンディションまで変えていたのは演出?
真中に座ってたきゅうりの台本だけ、えらくボロボロだった。
高良が弓でビブラホンを軋ませ、大坪はプラスティックの棒でリズムを刻むのが冒頭の音楽だった。
このプラスティック棒が面白い。一本ごとに音程が変わり、数本組み合わせるとメロディの組み立てが可能な仕組み。
中盤で大坪は自分のスキンヘッドを、この棒で叩いてメロディを作る。
客席から笑いが漏れ、演者も振り向いて吹き出していた。
この曲も台本ごとに、きっちり音楽の入る場所は決まってたみたい。
前半はひっきりなしにギターを取り替えた鬼怒だが、後半はほぼエレキギター中心。
エフェクターを曲毎に切り替え、ときには紙やピックを弦に挟み込んで弾く。
後半ではwarehouseのレパートリーをはめ込んでいたようだ。
"Mana`s roux"のメロディが優しく流れる。
大坪のウクレレによる柔らかいメロディが、ほのぼのした朗読劇にぴたりとはまった。
あとはwarehouseの新曲群かな。
3人のこじんまりしたアンサンブルが、この空間に見事に馴染む。
どういうきっかけのコラボレーションか知らないが、キャスティングはばっちり。
4回公演のなかで、ところどころアドリブを入れてたらしい。
たしかエピソード「音楽」のとき。
3人が的確なBGMを探してレコードを持ち寄り、「女性ボーカルの『枯葉』」を薦める場面にて。
warehouseは静かに、ボーカル入りの「枯葉」を演奏する。
歌ってるのは、なぜか大坪で・・・大笑いでした。
舞台演出は無きに等しい。全面を明るくして、朗読と音楽のみで勝負してた。
唯一「朝」ってエピソードのとき。
心なしか、ライトがひときわ明るくなった。
ぱらり、ぱらり。
朗読劇が進むにつれ、台本の残りページも少なくなる。
そして物語りもエンディングに着地した。
最後はgusuto-de-piroの3人がそっと椅子へ腰掛け、朗読者らもwarehouseの演奏に聴き入った。
音が消え、拍手が飛ぶ。
コミカルに演者の紹介のあと、公演は全て終了。カーテンコールは特になし。
エンディングの演出はちょっと変えて欲しかった。
たとえば語り終った時点で、gusuto-de-piroの3人が一礼するとか。
その瞬間に拍手が始まり、空間が引き締まる。
warehouseの演奏は映画のエンドロールみたいな効果となり、余韻が膨らんだはず。
舞台公演はひさびさなので、勝手が分からず緊張してしまった。
サロンみたいな場所で、寛いだ昼下がりにwarehouseの演奏が似合う。
いつもと違った空間、ふだんと違った演出での生演奏を楽しめた。