LIVE レビュー

見に行って、楽しかったLIVEの感想です。

03/8/9   西荻窪 音や金時

出演:仮面舞踏劇〜バリ星月夜
 (ガムラン演奏:ウロツテノヤ子、舞踏:小谷野哲郎ほか
  ゲスト ガムラン:デワ・アリット、舞踏:ユリア・テイ)


 わからないことだらけ。今夜の感想は書くの難しい。
 ガムランは昔、スネークマン・ショーの「戦争反対!」ではじめて聴いた。
 不思議な響きが魅力で、折に触れ聴いてきたものの。知識は皆無に等しい。

 今日の公演はトペン(仮面)・プレンボン(舞踊劇)と言うらしい。
 ガムランの文化もよく知らぬまま見て、どこまで理解できていることやら。
 そもそもどこまでが伝統劇で、どこからが翻案(オリジナル)なのかも分からずじまい。
 とりあえずネットで一夜漬け。だけど間違い多々あるにちがいない。誤りはご指摘くださると幸いです。
 
 今夜は一言で言うと・・・そうだな。自分が知らない異文化に触れ、好奇心が刺激された夜だった。

 ちょうど台風一過。
 観客は20代前半くらいの人が多い。30人弱ってとこ。どのお客もミュージシャンと顔見知りっぽい。
 演奏が始まるまで、奏者は車座になってステージで雑談してた。

 ガムランを演奏したのは8人編成。
 「ウロツテノヤ子」がユニット名。実態は亜細亜大学のガムラン研究会らしい。
 今夜は初の単独公演とか。
 全員が巻きスカートに白い詰襟風の民族衣装を着た。

 うち一人がゲスト。彼はバリの出身で上着は真っ黒だった。
 ゲストの名前は、デワ・アリット(I Dewa Ketut Alit)。
 音楽家系に生まれ、インドネシア国立芸術高等学院デンバサール校音楽学科を主席で卒業した。
 アカデミックにガムランを収め、海外公演をひんぱんにやるミュージシャンだそう。

 公演は20時10分前くらいに始まった
 演奏前、全員がセッティング完了した頃合。
 楽屋から仮面をかぶった男が現れ、小瓶からなにやらメンバーに降りかける。

 お清め・・・かな。
 そして手に持ったお香を一本、ゴングのスタンドに刺していったん楽屋へ消えた。

 超低音でゴングを一打ち。演奏の始まりだ。

 まずデワ・アリット指揮の、ガムラン演奏から。
 デワは竹の笛を吹き始めた。尺八みたいな楽器だ。正式名称は不明です。

 甲高い音色だが、サワリはほとんどなく耳に優しい。
 首をひっきりなしにふり、循環呼吸でえんえんと吹き繋げる。
 出る音と吹くしぐさが微妙にずれて、奇妙な感じが面白かった。

 ひとしきり吹くとアンサンブルが展開し、淡々と音は拡がる。
 音域が超低音から高音まで聴こえ、CDとは違った開放感だ。
 楽器はどれも赤を基調に、金色できらびやかに装飾されていた。

 8人が鳴らす楽器は、デワの笛を除くと全てパーカッション。
 しかしアンサンブルの役割がそれぞれある。
 これは見なきゃ分からなかった。なるほどね。

 テンポをキープするのが、床置きの大きな蓋付き鐘(カジャール)。
 揺らぐ音楽の中、淡々とビートの頭を提示する。

 このビートを二人の奏者がサポート。
 一人は小型のシンバルがいくつも載った置物(チェンチェン)を、手につけたシンバルで叩く。
 役割はカシャカシャとリズムの補足。
 もう一人は山のように鈴(?)がぶら下がった振りものパーカッション(名称不明)を使い、ビートに膨らみを持たせた。

 いわゆるメロディ楽器は3人。
 床起きの鉄琴(ガンサ)を、かなづちで演奏する。
 叩くのは右手のみ。左手はミュート役みたい。

 大小の楽器を3人が使い分ける。一つの楽器を一人が担当し、アンサンブル全体で揺らぎを出す。
 複数の奏者が交互に違う音を叩くことで、メロディを奏でるそう。
 もっともぼくの座り位置だと、よくガンザ奏者を見えない。無念。

 さらにゆったりした間で音像を包むのが、馬鹿でかいコブ付きゴング。差渡し1mくらいあるのでは。
 奏者の両側にひとつづつゴングが吊るされる。

 向かって左に大きいゴング。右側にはすこし小さめなゴング(クンプル)。
 前にはさらに小型のゴング(クモン)が置かれた。
 マレット(パングル)で鳴らす超低音は、アンサンブルを覆い荘厳さをかもし出す。

 なお楽器名はウロツテノヤ子のHPを参照しています。ご興味ある方はこちらもどうぞ。

 デワは両打ちの細長い太鼓(クンダン)を膝に乗せ、叩きはじめた。
 メロディは繰り返しが基本。さほど派手な展開なし。
 ブレイク(ガムランではアンセルと呼ぶらしい)を多用し、楽団全体がストップ&ゴー。
 アンセルのたびデワは、ひらりと手を宙に止めた。
 そのしなやかなしぐさが目に焼きついた。

 さらにデワの合図一つで音量がぐっと変化する。
 わずかなサインでボリュームが上がり、同じフレーズを繰り返した。
 8人編成でもトランス感覚たっぷり、大編成だともっとすごそう。

 インストのガムランは10分くらいで終わり。
 続く演奏にのり、楽屋から仮面をかぶった男が登場した。
 彼がたぶん、小谷野哲郎のはず。最後まで自己紹介なしでわからずじまい。
 いや、マスクを取った顔すら見せなかった。

 扮装は王様かな。サーベルを背負い、マントが微妙に宙で折れ曲がる。 
 すり足でフロアへ降り、しばし舞った。
 指先がそれぞれ反り、ゆったりしたペースで身体を曲げる。
 
 踊りの微妙なしぐさがきっかけで、ガムランの音量がぐいぐい変化した。
 目がくり抜かれていない仮面は、親しみをまるで突っぱるよう。

 意外だったのはごく自然に観客へ背を向け、踊りつづけること。
 円形ステージが基本なのか、そもそも奏者と観客へ等価に見せる演舞なのか。どちらだろう。
 
 いったん仮面の男は引っ込み、すぐに別の仮面へ付け替え再登場。
 精霊役で現れると、日本語で簡単に前説をはじめた。
 以降の面は肉眼が覗き、ぐっと親しみやすい。
 一人五役くらい。ポイントごとに入れ替わり、すぐさま仮面を交換して登場した。

 喋りはくすぐりをふんだんに使い、一気に空気がリラックス。
 お盆はそもそもアジア圏全般にある風習だ、とひとくさり。
 あらためて劇が始まった。

 もっとも劇のストーリーはシンプル。あくまで主役は演者だ。
 独りで踊るシーンをふんだんに取り入れ、たっぷりと舞をみせた。

 ストーリーを簡単に紹介しよう。
「老夫婦が海で、竹の籠に入っていた赤ん坊を発見。
 赤ん坊はすくすく育ち、三ヶ月で年頃の娘になった。
 世界各国から求婚者が殺到。嫁入りを嫌った老夫婦は難問を出して、相手を追っ払う。

 いっぽう娘は神への捧げもの(だっけな?)として、布を織る。これが天界の使者の目にとまった。
 彼女は天界の娘だったのだ。泣きながら娘は老夫婦と別れを告げる。
『年に一度、家に顔を見せに来ておくれ。目印で扉に竹飾りを吊るしておくから』」

 つまりは竹取物語。インドネシアの言い伝えを翻案かはよくわからない。

 ちなみに竹飾りはインドネシアで「ペンジョール」と呼ばれ、日本でいえば七夕飾りみたいなもの。
 インドネシア暦で年に1回、軒先に吊るすそう。
 それを目印に先祖が訪れる、お盆と同様のならわしがあるそうだ。
 
 シーンは老人が赤ん坊を拾うところから。
 踊りながら籠を拾い上げる。ここで浦島太郎風に奏者が子供役で群がった。
 ケチャっぽく歌いながら。
 籠から取り出した赤ん坊役に、キティ人形を使ってたのが大笑いだった。

 この赤ん坊が妙齢になったときの娘役を演じたのがユリアティ(Gisto Ayu Sri Yuliati)。
 彼女もインドネシア生まれで、ガムラン界では名高い踊り手だそう。

 すり足を組替え、中腰で優美に踊った。
 バランスの悪い姿勢で、ピタリと動かぬ舞が素晴らしい。指先は一本一本が微妙に動く。

 足の動かし方が特徴か。片足は常に指先や土踏まずを浮かす。
 つま先を横に向け、わずかなボディ・サインでガムランのダイナミクスを操る。
 演奏されるガムランは、ほぼ踊りに従属。単独で聴いたら、繰り返しの多さに単調だったかも。
 舞のサインで唐突にボリュームが上下する。フレーズは同じままで。瞬間、空気が張り詰める。
 
 ユリアティの踊りのクライマックスは、2部で披露した機織りシーンか。
 えんえんと10分くらい踊っていた。
 ガムランが鳴ってても、ほとんど耳に残らない。
 ユリアティの華麗な踊りに惹きつけられた。

 今夜の演者は3人。もう独りはフランスからの求婚者役。あとは全て男が入れ替わりでこなした。
 もっとも求婚者役はさらりと踊っただけ。
 提示された難題に答えられず、すぐに引っ込んでしまった。
 もっとも難題というよりクイズだったな、あれは。

 いっそ二人だけで成立する物語にしたほうが、より舞台にメリハリ効いたのでは。

 エンディングは男が登場し、ユリアティ演ずる娘が織った布を長い竹の棒へ通すシーン。
 さしわたし3mくらいの長い棒だった。

 そしてメンバー全員がステージ前へ登場。
 ケチャの声に包まれながら、デワとユリアティを紹介して終わった。

 まったく先入観を持たずに聴きに行ったのがよかった。
 ガムランやシナリオに軸足をあえて置きすぎず、ゲストの舞を中心に多方面から見ることができ、なおさら好奇心が刺激された。

 荒削りな部分は多分にあったが、もっと深くガムランを知りたくなったぞ。 

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