Merzbow Works
The Ten Foot Square Hut (Hypnagogia:2004)
Raw materials by richard rupenus
All
composed arranged and mixed by masami akita
additional materials by masami
akita
recorded and mixed at bedroom 31 dec 2003 - 1 jan 2004
2003年の大晦日から2004年の元旦。録音は、秋田昌美の寝室で行われた。
リリースは2004年。けっこう速いペースだ。限定500枚。the
new blockadersへ本盤は捧げられた。
ミュージシャン名義は"Merzbow + the new blockaders"。実際の録音はメルツバウだが、音素材にnew blockadersを使っている。このバンド、どういう素性か勉強不足で知らない・・・。
タイトルは鴨長明"方丈記"より。姉妹品にアナログ10インチ"Oumagatoki"がある。後者は未聴で、音源や音楽の関連性をコメントできず。ごめん。
なおメルツバウのオフィシャルHPには、以下のコメントが掲示された。引用する。
『"The Ten Foot Square Hut" CDと"Oumagatoki"
10"はTNBの素材をもとにMERZBOWの方法で作曲した作品である。リリース順は10'が先だが、もともと同時期に制作された音源からCD用のトラックをまず決め、残りを10'にまわした。これらの作品は菜食主義とアニマル・ライツの観点から制作されている。』
秋田昌美は当時、菜食主義からアニマル・ライツ(動物虐待反対、の意らしい)へ傾倒した。公の場で自分の考えを述べることが活動アピールと考えていたそう。
実際のノイズへ反映される程度は、当人にしか分からない。ストイックさが増した、と考えればいいのかな。
特別サイズな黒一色のプラケースに、金字でロゴが打たれる。デザインは秋田昌美自身。
スリーブの裏へ、金地に白抜きのエッチング・タッチな風景画あり。これも秋田の絵だろうか。
川べりに木の小さな橋。水墨画の侘びを狙ったものと推測する。しかし金まみれの絢爛な下地を選ぶあたり、なんともシニカルなセンスだ。
全体の音イメージはアルバムを通して、ほとんど変わらない。
しかしノイズの構成要素を取捨選択することで、まったく飽きないサウンドを生み出した。
メルツバウのストイシズムが結実した傑作。
なお、恥ずかしながら。TNBの音素材がどれなのかは、判別できませんでした。
<全曲紹介>
1.Transience part 1
(30:29)
"Transience"とは「一時的なはかなさ」の意らしい。となると「侘び」の言葉がぱっと頭に浮かぶ。実際にメルツバウがこれを狙ったかは知らない。
せせらぎのようなホワイト・ノイズが染み出し、次第に足元を侵食する。冒頭こそ、かすかさを感じられた。しかし見る見る冷徹さをみなぎらせる。
歯軋りのようなハーシュが幽かに挿入。音の彩りは涼しく唸る電子音は虫の声か。・・・相当に迫力ある、力強い鳴き声ではあるが。
マックによるループを多用と思われるが、繰り返しの単調さは希薄。
左右に音を配置し全体に希薄なテンポを採用、ループの味わいを最小限に抑えた。
いくつかの音が加わるも、全体はあくまで白黒の世界観に統一。爽やかなストイシズムが心地よい。
ハムノイズが性急にあおろうとも、全体のノイズが立ち並ぼうとも、凛と背筋を伸ばした音像に癒される。
容赦なく継続するノイズ群は聴覚上の慣れから収斂して聴こえ、冒頭のせせらぎに戻ってゆく。
再びノイズはハーシュの色合い。音全体のざらつきが増し、枯れてゆく。ベール一枚を目の前に垂らし、電子ノイズの等々力が率直に攻めてきた。
今までが客観視できるノイズだとしたら、10分を過ぎた辺りから主観を求めるノイズに変貌して聴こえた。
メルツバウの視点はどこか優しい。ぼくのステレオ装置では上下の帯域にどのくらい低音や高音をぶち込んでるか自信ない。
けれどもあまり極低音を響かせずに、さらさらと細密な電子ノイズが降り注ぐさまに、爽快さを覚える。水の微粒子が降り注ぐ。
幾度もノイズは表情を変える。しかし基調のポリシーは変わらない。見えないドローンの鳴り響き。
後半につれ、どんどんノイズは研ぎ澄まされた。足元のせせらぎはすっかり煤ぼけても、依然と底辺を濡らし続ける。
音は丸まった。静かに前へ進む。細かなニュアンスを、ノイズの切片が表現した。
強引さのない、断固としたノイズが素晴らしく響く。
エンディングでは力を込めて、ハーシュがきらめいた。さまざまに。
フェイドアウトのペースも速く、とたんに音が消える。
2.Transience part 2 (25:07)
冒頭は花火を模したノイズか。前曲が冬、もしくは水辺ならば。この曲は夏、もしくは町側をイメージする。
ランダムな破裂音は、まさに花火大会を覗く風景。メルツバウによる人工世界だが、こういう感触は実際にもある。
ハーシュは控えめながら、きっちりと存在。人ごみの表現にしては単調すぎる。夜の闇を表したか。
やがてハーシュが存在を主張し、全面を覆う。
ノイズが滑り、ビート感は希薄。あくまで破裂音はアクセントとして存在した。
この曲はボリュームを上げて聴きたい。小さな音だと全てが埋没し、単調さが目立つ。
音量を上げると、とたんに細かな粒まで分かる。
猛烈に爆ぜ、泡立ち、混ざり合うノイズの粒たちが。
左右のチャンネルにそれぞれ微妙に違うエレクトロ・ノイズを配置し、奥行きを出した。ループかもしれないが、継ぎ目はよくわからない。
7分の後半、甲高い電子鳥のさえずりが降ってきた。多数の声を収斂させ、奥行きある響き。
風景は次第にジャングルめいた暑さを帯びる。
電子鳥はせわしなく力強く鳴き、破裂する地面をものともせず生き生き動いた。
やがて世界は静寂へ変わった。
冒頭の花火音がフィルターをかけられ、穏やかに鳴った。
世界は抽象的へ変化。ざらりざらり、表面を撫ぜる。
一息ついたところで、さまざまなノイズが登場。にぎやかに戻る。
前半部分よりも野太くなったノイズ群が辺りを塗って、風景を進化させた。
変化は新たなノイズの出し入れで行い、個々のノイズはかなりシンプル。涼しげなホワイト・ノイズが中央に存在する。
微妙にフィルターがかかり、空気を削った。
どんどん世界が集中する。濁流が目の前を覆った。明るい一筋が、勢い良く照らす。
道しるべのように、濁流が方向を変えた。
余分な要素はどこにもない。幽かに奥で冒頭の花火が鳴ってる気もする。しかし全体のノイズに溶け込み、よじられて音世界の要素に変わった。
低音成分は控えめ。数本のホワイト・ノイズ(形容矛盾だが)が並列し、涼しげな地平を産んだ。
この音像は一曲目の冒頭とも良く似ている。自己内包を狙ったのか。
カットアウトでいきなりCDが終わる。漂う静寂。そして日常。落差に一瞬、呆然とした。
(2005.3記)