Merzbow Works

Satanstornade(warp/Beat Records:UK/Japan) (2002)

masami akita : apple G3 powerbook + various software
russel haswell : appple 1400c/166 powerbook + various software

Recorded live direct to sony MD 4 track+ direct stereo mixdown @ the abbey,london 14.6.99

digital MD to hardisk transfer by oswald berthoid,pre-mastering & edits by russel haswell @ mego berlin 05.10.99 & 10.10.99

digitally mastered by denis blackham @ coutry masters in frimley 30.07.01

 ラッセル・ハズウェルとの共同名義がサタンズトルネイド。本盤は彼らの1st(実際には本盤の前に"Ich Schnitt Mich in Den Finger"なるアナログ盤(未聴)もあるようだ)にあたる。

 ラッセルと秋田昌美の交流は96年にウィーンでメルツバウがライブを行ったとき、ラッセルやピタがDJで参加したことが初接点という。
 サタンズトルネイドの結成切っ掛けは、メゴの一員として2001年にラッセルが来日し、デュオで幾度かライブを行ってから。ラッセルは以前からメルツバウのファンだったようす。  

 2005年の本稿書いてる時まででは、このリリース後にサタンズトルネイドとしての活動は聞かなかった。
 ゆるやかなユニットとして、そのうち2ndのリリースやライブがあるんだろうか。

 なんと日本盤までリリースされ、驚いた。いや、メルツバウは日本のミュージシャンなんだけど、なんとも珍しいことだから。
 邦盤には佐々木敦が詳しい解説を寄せている。ラッセルの自宅キッチンで2時間ほどかけた素材を元に、一枚のCDへまとめられた。

 リリース当時、Cookie Sceneの2002年12月号(vol.28)に秋田昌美のインタビューが掲載された。
 そこではサタンズトルネイドのコンセプトとして「ラップトップを使ったブラックメタル」というキーワードを提示する。

 ジャケットはデジパック形式で、薄い白の文字で表面に直接クレジットが印刷した。日にかざすと文字が読める趣向。けっこう見づらいのよ。
 録音関係は上に転記したとおり。99年に録音され、しばらくリリースが保留されていたようだ。
  
 見る限り、録音は秋田がかかわっても、その他の音素材や編集はラッセル側が主導権を握っている。したがって完全にメルツバウとしての作品とすべきではなく、あくまでラッセルのコラボとみるべき。
 ただし音素材には何も加工せず、二人のラップトップによる即興演奏をそのまま盛り込んだそう。

 強烈なハーシュがばら撒かれるが、曲によってはテクノイズの様相が強い作品もあり。メルツバウ流のストーリー性あるハーシュ・ノイズとは、一味違った味わいだ。

 なおジャケットには「最大ボリュームにてヘッドフォンで聴くことを推奨する」のコメントあり。
 
<全曲紹介>

1.fend off your miserable grief  (2:59)

 まずは左チャンネル、やがて右チャンネルからハーシュノイズが沸き立つ。溶岩が煮えたぎるように。
 どちらかが秋田で、どちらかがラッセルなのかな?即興演奏といいつつも、左右でほぼシンクロしてノイズが表情を変える。

 中央でも鳴るが、あくまで主体は左右の定位。迫るように、しかし感覚はクールに進む。
 ときおり音量がわずかに変わるのが新鮮だった。

 時間も短く、挨拶代わりの一曲か。最後の数十秒で、モロの電子音が鳴ったり、いっきに静かに鳴ったりとメリハリをつける。
 このあたりはラッセルの好みな気がしてならない。 

2.unlock the mysteries of the sun (17:22)

 本盤でもっともメルツバウっぽさを感じさせた曲。ブラック・ロックへのオマージュか、バックでエレキギターを変調させたかのような分厚い唸りがループされた。
 表面では細かな破裂音がひっきりなしに現れては消えてゆく。
 沈鬱な凄みがいかしてる一曲。ハーシュノイズはドローン的に後ろへ配置し、表面はもっと直接的なデジタル・ノイズを置いた。
 
 性急な前面のノイズと、唸るようにうねる背後のノイズ。さらに中盤でハーシュが吼える。
 ビートを多層化させ、あくまで総体で作品として成立させるセンスがメルツバウ的だ。
 
 実際はラッセルとのコラボだろう。目の前での賑やかな電子音がラッセルかな。
 17分半とそれなりに時間をかけた作品だが、物語性は希薄だ。
 次々に表情を変える表面の激しいノイズに打ちのめされ、いつのまにか時がたつ。

 中盤で一旦音がダブ風にみりみり震えるタッチは、かなり音響的なアプローチを感じた。
 音加工はしていないそうだが、編集も無しだろうか。
 音の揺らぎも含め、即興演奏そのままを取り込んだとは考えにくい処理が、いくつか見受けられる。

 ループをくっきり意識させるノイズが多い。音量も踏まえて、漂うようにノイズが前後する。
 たしかに大音量のほうが、良さが伝わりやすそう。

 どこかゆったりしたスペースを感じる。最後は分厚いシンセの音が膨らんで世界を埋め尽くした。

3.track 5 (13:58)

 タイトルはトラック5。しかし3曲目。一体どういう意図があるのかな。
 そういえば、これらの曲群はタイトルをどうやって決めたかも興味がわく。ラッセルがタイトル付けしたかな?

 音成分はずっと複雑ながら、印象は昔のテレビゲームみたい。シンプルなノイズが、表面を思い切りざらつかせて迫る。
 喧しい要素は多分にあるが、根本的にポップな感触が最初のイメージ。

 奥まで幾層にも重なった音構造はメルツバウ流だが、なんとなく感触は彼らしくない。根拠は無いです。
 すこーんと抜けた、あっけらかんぶりからなんとなく、ね。
 空気を削り、侵食してじわじわとノイズが、耳元から存在を食べていく。
 
 左右を軽快に飛び交う電子音は、何だか丸まった。だけど背後の高波はいつまでもそびえて迫りくる。
 あちこち移動しても、あんがい基本アレンジはシンプルだ。
 音色を切り替えながら、同じパターンの凶悪パルスがはじけた。
 
 5分を回ったあたりで、メロディの余韻をかぶった低音がじわり浮かんだ。あの重厚さは、メルツバウの香り。
 実際にはコラージュっぽい編集をずいぶんしていそう。
 ときたまノイズのグルーヴが寸断された。

 背後で強烈に立ち尽くすハーシュがなければ、音響のジャンルでくくれる。
 メルツバウの単独作品では、まず感じないポップス性がびんびん伝わった。

 しだいにカットアップの度合いはきつくなり、10分寸前では空白のほうが多い瞬間も。
 すかさずハーシュが飛び出すが・・・もう一歩、さらなる地平を目指して欲しかった。この考えは贅沢だろうか。

4.tecticular fortitude (13:24)

 メルツバウ印のスピードあるハーシュがいきなり吹き出す、痛快な曲。ざらざらで灰色の雪上を、小気味よく滑ってく。
 奥行きを詰まらせたミックスっぽく聞こえた。まさにこれこそ、大音量で聴くべき。ボリューム上げるほどに情報量が増え、体内が熱くなる。
 ノイズなのにボリュームを上げたくなる。血が騒ぐ。

 中央で唸る音はエレキギターのサンプリング?ノービートだけど、妙にロックンロールのノリが漂った。
 スピーカーの奥から次々噴出して、さらに奥のノイズに押しのけられる。果てしなく噴出する、音楽。
 カットアウト風に交替するホワイト・ノイズの美しさにうっとりした。

 細切れサンプリング・ループ風に処理される箇所もあり。これはメルツバウの意図だろうか。
 ぼくの好みだが、よけいな小細工はいらない。ただ、炸裂を聴かせて欲しい。説得力ある音だから。

 後のメルツバウ作品でも聴ける、圧倒するハーシュの音圧が素晴らしい。
 だからこそ7分前後で、いきなり小音系に浮気した音像が物足りない。
 スペイシーな世界のもくろみはわかる。けれども寸前のパワーが産み出す快感と逆ベクトルでは。快感原則に沿わない。それこそ、ノイズのコンセプトであり成立要因なのかもしれないが。

 後半でハーシュは復活しても、ずっと尖った音に集約されてしまう。背後も整理され、断続電子音がメインになった。
 前半/後半で、ずいぶんイメージが変わる曲だ。

 そして最後に一秒。幕を下ろす寸前に、強烈なノイズが響き渡る。
 どきっとするよ。(2005.8記)

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