Merzbow Works

Megatone (2002:Inoxia)

Boris with Merzbow
Masami Akita- PowerBook

Wata- guitar, E-bow, Space Echo
Takeshi- guitar, E-bow
Atsuo- feedback conduction

Recorded at Sound Square 2001, and Bedroom, Itabashi 2000-2001
Mixed and mastered at Bedroom, Itabashi 11/09/2001


 長年にわたるボリスとのコラボレーションで、初の共演盤。板橋区とあるのが、たぶん秋田昌美の自宅スタジオだろう。
 ボリスとメルツバウは世代も違う。しかしうまがあうようだ。一過性のコラボも多いメルツバウだが、ボリスとはこののち10年以上、断続的に共演ライブや盤をリリースし続けた。

 2016年現在のディスコグラフィを列記する。アナログで発売の作品も多く、CDプレイヤーしかない僕は無念だ。

[Merzbow / Boris]
Megatone (2002) CD
Heavy Rocks (2001) CD (1曲のみ、Merzbowがゲスト)
04092001 (2004) LP
Sun Baked Snow Cave" (2005) CD/LP
Rock Dream Live Album (2007) CD/LP
Walrus/Groon (2007) 12"EP
Klatter (2011) LP
Gensho/現象 (2016)

 ボリスは96年から海外ツアーを重ね、日本に留まらぬ人気を誇り、数々の盤をリリースしてきた。その過程で上の世代とも交流あるらしく、灰野敬二とも本盤の数年前、"Black: Implication Flooding"(1998)を発表しており、少し前から名前だけは知っていた。

 05年3月号のユリイカ"ポスト・ノイズ"特集で読める、秋田とAtsuoの対談も興味深く必読だ。
 その対談によればメルツバウとボリスの共演は本盤の数年前、大阪のイベントにて。さらに"Walrus/Groon"(2007)のEPの音源を01年に録音が初音源らしい。ビートルズの"I'm the walus"と、クリムゾンのカバーだ。実際には録音後、秋田がのちにダビングらしいが。
 次の共演録音が、本盤になるそう。

 メルツバウとボリスの邂逅を僕が初めて見たのは、本盤発表前の01年11月2日。恵比寿みるくで"秋田昌美ナイト"と銘打たれたライブで共演した。改めてクレジット確認すると、本盤ミックス数日前のライブだったのか。
 その時のライブ感想はこちら。http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Drum/1400/sound/live_011102.html
 深夜3時前後に一時間半くらいかけた共演は、ひたすら重たかった。ドローンめいた低音が吹き荒れ、ほとんど変化が無い。深い時間で正直、しんどかった記憶もある。

 さて、本盤。テーマはロックの美学の憧憬を純粋化に聴こえる。エレキギターの歪みを象徴に、ノイジーなロング・トーンの快楽を追求した。テクニックともメロディや和音、リズムとも違う。ぎゃーんっと鳴っているさま、そのものが心地よい。そんな、価値観。
 メルツバウはいわゆる楽理を夾雑物と排除し、ノイズ追求の立場から。ボリスはドローン・バンドとしてリズムやビートをなくした立場から。ボリスのメンバーは、前述のとおり以下にクレジットされた。

Wata- guitar, E-bow, Space Echo
Takeshi- guitar, E-bow
Atsuo- feedback conduction
 
 つまりリズム楽器がいない。ベースや鍵盤のコード進行や構造を促す楽器もない。サスティンとディレイとフィードバック。ロックの重要な一要素であり、一部でしかない「喧しくパワフルな響き」そのものを追求した。
 メルツバウはこの時期、既にラップトップへ完全移行済み。波形操作を表現の武器としていた。ざらつくロングトーンと、きらめく微細な周波数変化が特徴だ。

 生々しいボリスのダイナミックな生演奏と、精緻に操作されたメルツバウのハーシュが、真逆の立ち位置から寄り添い合い、神秘的でワクワクする音楽を作った。

<全曲紹介>

1."It Continues Waiting for a Headronefish" 23:26


 Headronefishとは造語か。HeadとDroneを重ね合わせた言葉か。頭の奥で鳴り響く魚。今一つ意味が通らないが。
 鈍く響く低音は工事現場をまず連想し、破壊や構築の無い連続する響きが別世界であると、すぐに気が付く。そこから、この曲は深くなる。ゆるやかに上下する低音ギターの周波数。奥底で唸る響きが、メルツバウの仕業か。

 変化なさそうに聴こえて、変わり続けている。ひとときも、同じ瞬間は無い。
 低音中心の持続は、やがて快楽に感じる。展開はいらない。ひたすら、この響きを感じていたい。それでいて、唸るようにじわじわ変貌する響きの表面が心地よく、美学そのものを追求する姿勢に清々しさが漂う。
 メルツバウが挿入するハーシュの蠢きが、見事なアクセントかつ存在感を持つ凄みとなった。

 理屈ではない。この音から得られる間隔は肉体的な直観だ。けれどもこの音楽を構築するセンスは理知的かつ確信犯だ。音の質感は全く違うが、テクノに通じる美学を感じる。 
 気持ちいい音だけを抽出して、蒸留した点において。

 この音楽に選民主義的な閉鎖性や居心地悪さ、鼻高々な排他性は無い。けれど、この音楽を大音量でまき散らせない、自らの価値観がつらい。こんなに気持ちいいのに。
 いわゆるinsideノイズとしての要素よりも、鋭く高らかに響く、激しい透徹なロングトーンとざらついたハーシュの溶け具合こそ、この楽曲の聴きどころだ。

 メルツバウの音が、素材としてボリスと溶けている。コラボレーションの観点で、この楽曲は正しく対等だ。

2."Encounter with the Inside of the Wave Motion of Great Waterfuzz" 20:04

 鈍く低い蠢きがじわじわと沸く。エレキギターは緩やかだが明確なメロディを紡いだ。
 しばらくして、威勢よくメルツバウが入ってきた。やみくもに我を通さず、静かに佇む。

 Waterfuzzも造語のようだ。表題は「偉大なるケバだった水(=Waterfuzz)の波形動作の中身と出会う」とでも訳すのか。
 エレキギターの響きは、冒頭はブライトで太い。やがて別のギターが激しく鳴り、メルツバウの電子ノイズも剛腕でかぶさった。

 だが抽象に雪崩れない。ギターはうっすらとメロディ感を残す。挑発のようにハーシュが激しく突出したが。ここでもボリスとメルツバウは対等の立場で、崇高にロックの美学を追求した。

 ふわふわと鳴るシンセっぽいたゆたいが、音像にふくよかさと柔らかさを付与した。

3."…And Texas Spaceship" 17:56

 野太く軋む音と、奥深い残響の感触が並列した。これも物語性より複数のザラついた音が重なる美学のみを純粋に追及した楽曲。
 一つに絞らず、多数の同類な音が重なることで、より複雑な響きを作るメルツバウ流のオーケストレーションが見事に収斂してる。

 この曲はむしろボリスの音が目立つけれど、曲構造やアレンジのセンスはメルツバウの価値観が多く出たように感じる。録音素材はボリス中心、ミックスや編集はメルツバウってコラボにも感じた。

 この曲もいわゆる展開は希薄。しかし持続のみのドローンめいたアプローチとは、異なることが聴いてるとわかる。質感をそのままに、次々に新しい音が飛び出してくる。溶けて混ざり、基調は変えずに表層は変わり続けた。
 
 改めて本盤に詰まってた音楽は、むやみなノイズではない、と思う。

  (2016/4:記)

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