Merzbow Works
Music
For Urbanism (2015:murmur Records)
Music By – Masami Akita
手心加えてじわじわ引きずりこむ、メルツバウが味わえる。本盤は2011年10月23日に「代官山ステキな街づくり評議会」主催のまちづくりセミナーの「まちづくりの哲学〜場所・幸福・関連性〜」と銘打たれたイベントの第三回でのライブ。
題して「デタラメな世界の希望の在処 秋田昌美x宮台真司」と銘打たれた。第一部がメルツバウのライブ、第二部が宮台真司の講演という。
本盤はそのイベントに関係した本レーベルの主催者が、クラウド・ファウンディングを使って資金集め、CD化した。目標金額30万円は20日たらずでクリア。様子を記したブログはこちら。しかしCDリリースまで延々と遅延して大丈夫かと思ったが・・・ようやく、リリースに至ったもの。
メルツバウがどこまで本イベントに賛同したかわからない。単純に演奏の場として参加だろうか。
また、クラウド・ファウンディングが行われたCampfireに転載のイベントのチラシによれば、「大音量で刺激の強い音楽です。小さいお子様、妊娠中や心臓の弱い方など、大きな音や刺激の強い音に敏感な方や苦手な方は、第二部からの参加をお勧めします」とかかれてる。
これもまた、メルツバウをバカにした発言で気に食わない。そうまでしてメルツバウを起用する必然性は何だ。トラブルを危惧するなら、ブッキングするな。
ノイズは全方位的に聴かせる音楽ではないと思う。興味と覚悟を持った人だけが聴けばいい。「なんかこのイベントにメルツバウを呼ぶって、意識高い系のリア充っぽいでしょ、ぼくたち」って気持ちが透けて見える・・・と思うのはヒガミ根性ですかそうですか。
さて、本盤。約50分の演奏時間をたっぷり使って、一本勝負のハーシュノイズをメルツバウは行った。最初から爆音全開の展開にせず、じわじわと演奏を盛り上げ、最終的には何ら妥協無いサウンドを提示した。
老獪な構成とも、見知らぬ観客への気遣いともとれる。だがこの辺が、単なるパフォーマンスでやり逃げしない、メルツバウの配慮であり優しさだ。そして妥協しない、意思の強さだ。
録音がちょっと一本調子のため、なるたけボリューム上げてダイナミクスを作ったほうがいい。
たぶんラップトップによる演奏。さまざまなノイズを操り、きれいで爽快なオーケストレーションを紡ぐ、祝祭空間を楽しめる。
なお本体に付与されたメルツバウをテーマと見せかける宮台真司の雑文は、いまいち面白くない。音楽をテーマでなく、メルツバウをダシに都市論を論じるかのよう。これを読んでメルツバウを聴きたくならない。ノイズへの愛情、ないのかな。
<全曲紹介>
1.2011 秋(41:24)
持ち時間をから9分ほど少ないが、構成に戸惑いは無い。何年も前からメルツバウがライブで志向した「曲演奏」と思われる。流れや音素材は決めて、音色やバランスを即興的に演奏ではなかろうか。
冒頭は単一のシンプルな電子音。音程感を持たせ、観客に戸惑いを与えない。ドローン風のロングトーンを伸ばし、「これなら大丈夫かも」と安心を持たせるかのよう。
最初はゆっくりと。だんだん音が歪んでくる。ジェットコースターみたいなものだ。冒頭はスピードとスリルを控え、じわじわと盛り上げていく。
しかしメルツバウは単調さも与えない。2分もたたないうちに、音色は歪み成分を持ち、新たな低音も付与した。じわっとハーシュな唸りも足していく。
時間がたつにつれ、ノイズ成分に音がすり替わっていく。この変貌っぷりが刺激的だ。15分もしたら、冒頭の涼やかな音像はどこへやら。すっかり快調なハーシュのフィルター・ノイズが全開だ。
しかも停滞や後退とも縁がない。常に前を向き、疾走しながら音配分が変わっていく。後半は高音成分が高まっていった。
ビートやリズム要素は希薄で、うねるノイズの周期でうっすらと小節感を作った。けれども構造や繰り返しで解釈をなるべく避ける。あくまで一つながりでみるみる変わるノイズを意識し、気が付いたらどっぷりハマってたって風景を狙うかのよう。
たぶん現場では様々な周波数が飛び交い、身体を震わす快感が味わえたと思う。
だが録音のほうはいま一つ、一本調子。思い切りボリュームを上げて、できればヘッドフォンで聴こう。CDだとどうせ、極低周波は出ないし。
終盤は情け容赦ない、嵐が粛々と広がった。
傲然と吹き荒れたノイズは、最後にしゅるしゅると終焉する。音がすっとまとまって、幕へ。この潔さも、清々しくてかっこいい。
おずおずと、しかししっかりした拍手が鳴る。歓声あるとこみると、純粋なメルツバウのファンもその場にいたんだろう。
(2016/4:記)