Merzbow Works

Dharma (2001:Double H Noise Industries)

Recorded & mixed at the Bedroom, Itabashi, Tokyo between Dec 2000 - Jan 2001
Final mixed on 9th Jan 2001

 ラップトップ・ノイズに移行した初期の一枚。音素材を乱立させ細かく組み立てる。試行錯誤が若干あるのか、今聴くとシンプルさもあり。

 タイトルはヒンズー教や仏教でいう「法」のこと。だが特にサウンドへテーマ性は無く、楽曲タイトルとの連続もない。この時期はアニマル・ライツにも傾倒しておらず、ストイックな精神世界への近づきを感じる。過去のスカムや過激なイメージから脱却し、求道者のようにラップトップ・ノイズの方法論と静かに格闘しているかのよう。

 メルツバウがアナログ・ノイズからラップトップへ移行は99年頃から。この時期はハーシュの強い貫きと、多様な音列の操りへ変わった。いくつものノイズを走らせながら、周波数配分をそれぞれ変えていく。

 肉体的、もしくは爆発の快感をノイズに求めず、構成美に軸足を置く。たまたま音色がハーシュなだけで、和音を試しながら作曲していくのと似てる気がした。
 
 本盤は短い作品3曲と、30分越えの長尺1曲が並んだ。クラシックのコンサートみたい。小品でアイディアのメリハリ効いた楽曲で露払いをして、交響曲みたいにじっくりと大作を最後に聴かせる。
 だが最後の曲は音の激しさはさておいて、アイディアそのものはシンプルだ。ストイックに音素材を変化させる様子、作曲の過程そのものを作品として提示した。

 明確にすべてをコントロールできるラップトップ・ノイズで、メルツバウは炸裂の持続でなく構成の構築に興味を移していく。その初期段階が伺える、今となっては興味深い一枚。

<全曲感想>

1 I'm Coming To The Garden..... No Sound,No Memory (5:19)


 軋む小粒のざらついた音。背後に弦をこするような配置。一気に低音が塗りつぶし、奥深い光景に世界が落下した。じわじわと着実に震えながら沈んでいく。わずかな揺らぎが抵抗か。
 軋み音が前に出た。金属質な炸裂の断片を逆回転したかのよう。
 おもむろに音程感ある歪んだフレーズが繰り返され、ハーシュが噴き出した。落下感は浮遊性に配置を変え、多面的なアングルで炸裂が描かれる。
 カットアップ風の瞬間的な音像の入れ替えだ。
 
 タイトルからしてメルツバウは音像をイメージしながら音作りしてるのかもしれない。三島由紀夫「豊饒の海」(1969)から取ったタイトルだそう。

 複数のノイズを並列させ、一つの音色を変調させる。リズム要素は希薄だが、ループするパターンの連結や相乗でわずかなビート性を滴らせた。
 低音よりも超高音のきらめきに軸足を置いた楽曲。急速に音が絞られて幕。

2 Akashiman (4:30)

 冒頭からトップギアなハーシュの炸裂。数秒程度の音像がそこかしこで噴出し、さらにきめ細かいハーシュを突き刺す。多層かつ立体的なPCノイズの操りが、シンプルながら鋭い勢いを持った。
 太い貫きを細密な糸の集合体で描いた。まっすぐなベクトル感をそのままに、表面はきめ細かいざらつきと傷のうねりが弾けては上書きされる。
 前曲よりも低音の比重が高まった。じわりじわりと低音フレーズが背後で揺れる。さらに野太い周波数で軋む。これもカットアップで終了。

3 Piano Space For Marimo Kitty (7:52)

 ランダムなピアノの貫きがまずあり、背後にせわしなくパンするハーシュの残骸。ピアノはループと思うが、時々違う音も混ざる。複数のサンプリングを操ってるようだ。
 ハーシュの左右ピンポンは、じわじわと存在感を増した。
 ピアノのサンプルは無秩序だが、なんとなく7拍子な感じ。ハーシュは淡々と別のテンポで左右を動く。そのポリリズミックな展開が、危ういムードを強調した。

 ミニマルな構造でもスリリングと思うが、そこはメルツバウ。単調さを嫌い、途中で別のノイズをカットアップで挿入した。
 音色こそ喧しいが、構造は現代音楽へ最も近しい。意外と本盤で、この曲はポップな聴きやすさがある。即興的な作品と思うけれど、秋田昌美の構成美が見事にまとまった。
 終盤ではアナログ・シンセ風の歪みに、ピアノのサンプリングが形を変える。周辺を一気に削られ骨格のみにして、テンポを上げた。音列が音隗に近づいていく。

 加速する不穏さがハーシュのスポンジに埋まり、中央に収斂した。

 終盤で音像が急にデジタルな硬質さへ変わる。音列の周波数帯を大胆にいじり風景を一気に飛翔させた。

4 Frozen Guitars And Sunloop/7E 802 (31:51)

 これも冒頭からトップギア。過程を取っ払い、あるていど音像が出来上がった場面から開始した。きらびやかな音程感をわずかに持つ冒頭を、大きなハーシュの刷毛が塗り潰した。
 30分とたっぷり時間を取った楽曲なだけあり、世界の変貌はじっくり時間をかけている。電気質な噴出をしばらく持続させ、単調で雄大な光景を描いた。サンプリング・ループの表層だけをすくい取り、あたり一面に散らばせる。
 
 そしておもむろに次なるデジタル・ノイズを足した。きめ細かく薄い素材を丁寧に重ねて、厚みというより深みを出した。複数の音像が聴き分けられる明瞭さと、全構造を読ませない複雑さが並列で成立してる。このオーケストレーションがメルツバウの魅力だ。

 ここでは前3曲でのスピード感よりも、ざらついた音たちのバランスを操りながら、うねりや比重を実験のように変えていく。冷静な視点と過程そのものを描いた。

 探り、ではない。試行錯誤とも厳密には違う。冷静に音の要素を見極め、味付けを変化させるように全体を少しづつ弄っていく。
 後年のドラマティックな多層性は、この時点では希薄だ。ラップトップ・ノイズのスタイルそのものを体に沁みこませるべく、ミックスや周波数変調の大胆な変貌そのものを楽しんだ。

 世界は次第に骨太へ変貌していく。濃密に隙が無く。けれども爆発は混沌ではない。理性が常に残っている。この時点ではランダム性を敢えて排した、PC仕立ての特徴だ。

 爽快感や瞬発力ではない。緻密で沈着な視点が充満した。外に向け発露ではない。自分の中へ潜っていくさまを、たまたま他人に覗かせるチャンスを与えているかのよう。               
(2017/3:記)

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