Merzbow Works

Ikebukuro Dada (2002:Circumvent Recordings)

Masami Akita - performer, cover artwork

 ラップトップ・ノイズの硬質に変貌するスリルが味わえる一枚。
 メルツバウの本作は、元は00年のコンピ"Sonic City"に提供した、"Ikebukuroa Dadatexture"が発端と言う。本盤(2)がそれか。コンピ盤のテイクは8分弱。本盤の(2)は23分弱に拡大されている。

 発売元のCircumventは、今に至るまでメルツバウの作品は本盤のみのリリース。このレーベルは米Mad Monkey Recordsのサブ・レーベルにあたる。発売に至る縁はよくわからない。
 売上の15%はルイジアナ州のチンパンジー保護区を経営するNPO組織Chimp Havenに寄付とあるので、その思想にレーベル側か秋田昌美のどちらかが共鳴したのかもしれない。
 のちにビーガンと動物愛護を強く出す秋田昌美だが、このころからその要素があったのか。

 サンプリングを波形操作してリアルタイムにノイズに変える、当時のメルツバウの要素を楽しめる一枚。まったく時系列通りの一発録音ではなく、ブロック編集も施されているっぽい。
 だからライブ感よりも唐突な跳躍も含めた、ドラマティックに変貌し続ける饒舌で奔放なメルツバウの魅力を味わえる。

 破壊衝動とは違うが、全体的に妙な沈鬱さが漂う盤だ。

<全曲感想>
 
1 Big Foot (Mix 2)  11:21


 サンプリングを波形加工か。冒頭の変調したピアノっぽい音色が、一瞬にしてざらついた金属質なハーシュ・ノイズに変わった。強く濃密に吹き荒ぶ音は、厚みや構成要素を変えながら進んでいく。力強く、まっすぐに。細く鋭い線が幾層にも絡み合う。個々の音要素は明瞭ながら、尖って硬質な針金となって流れていった。

 背後に低音の唸り。金属質なピアノの内部で暴れまわるかのようなつんざくきらめき。一瞬たりとも立ち止まらず、繰り返しに留まらない。
 唸るループはリズムやビート感ではない。一定の金属質な蠢きが淡々と存在するだけ。

 ひとしきり暴れたあとは、そのうねりに着目。拘泥せず次のアナログ・シンセへエコーをどっぷりかけた響きへ。脈絡もストーリー性もなく、しかしミニマルさとは逆ベクトルの変化を追求し続けた。

 最後は鋭利な棘の噴出と、静かな響きがカットアップ気味に繋がる。波形操作の妙味、か。
 なお本曲はMix 2とあるが、Mix 1はたぶん未発表。秋田昌美の棚の中に眠っているのだろう。

2 Ikebukuro Dada Texture  22:56

 Wikiに曰く、この曲にはノルウェーのヴァルグ・ヴィーケネスによるブラック・メタルのユニット、バーズム (Burzum)の2nd"Det som engang var"(1993)に収録された"Naar himmelen klarner"のリフから、サンプリングがあるそう。いかにもメタルを好み膨大な音源を聴く秋田らしい。
 "Det som engang var"を発表後に、ヴァルグは殺人と放火で収監された。彼への思いも込めているのだろうか。 

 濃密で漆黒の闇と、激しく貫く電子音が雄大に広がった。インダストリアルな要素も強い。
 一つ所に留まらないメルツバウの特徴は本曲でも聴ける。ここでの変化は穏やかで緩やかだ。音像そのものは激しいハーシュ・ノイズ。

 表面のざらつきはさておいて、背後で静かにループする素材の和音感や、ときおり現れるアナログ・シンセ風の音色が、本曲を妙にポップな味わいと感じた。
 剛腕一辺倒ではなく、中盤ではうねりがぐにゃりと曲がり、中空を不安定に漂い始める。
 20分以上もの尺をじっくり使って、曲世界を奔放に描いた。
 
 なぜ本曲に池袋ってタイトルをつけたのだろう。繁華街の賑やかさとは真逆の音像だ。深夜の猥雑で妖し気な池袋のイメージを投影か。

 終盤で回りの音をすべて消し、電車の下にいるようなノイズが続く場面がスリリング。
 やがて蝉の声めいた静かな持続と、粒だつ電子音に飾られてピアノの低音部分を沈鬱に叩くループが繰り返される。
 破壊衝動とは異なった、重たい世界観が広がる曲だ。
 
 そして風景はまた変わる。ピアノ線をかきむしる音を背後に、噴出するフィルター・ノイズが断続的に煌めいた。抽象性とドラマティックが併存した、強度ある曲。

3 MB162.2  9:21

 冒頭の軋む弦楽曲は、ウェーベルンの弦楽三重奏だそう。すぐに骨格以外を電気的にはぎ取られ、蠢きのみに変貌した。しばらくループさせたあと、高音の無秩序な電子音がかぶさり、暴れ始めた。
 この電子音も冒頭のサンプリングを波形編集してループさせているかのよう。
 二つの要素が違う時間軸で並び、せわしなく踊っている。

 メルツバウのラップトップ操作は、ソフトで音源を波形操作してノイズに変えているらしい。具体的な操作方法やテクニックを語ることはできない。
 でもこの曲を聴いてると、なんとなくイメージがわいてくる。元の音を極端に変調し、強調してるさまが。
 当初の音楽性もすべて解体され、特異な点のみを強調してストイックなノイズに仕立てた。

 終盤での泡立つ周辺を力強く疾走する、立体的なノイズ世界が痛快で心地よい。もっと聴いていたいのに、メルツバウは一つ所に留まらない。音色を常に変え続けた。
 最後にもういちど、弦楽三重奏が軋んだ音色でループして終わる。退廃的なムードを漂わせて。

4 Passage  22:56

 アルバム最後も23分ほどの長尺ノイズ。これも目まぐるしく世界が変わる鮮やかなアイディアの噴出を楽しめる興味深い曲。

 まずはここまでの本盤とは違う、もっとコンパクトな機械音がモチーフ。しかし周辺に音を加えて、中空を不安定に滑る、危ういスピード感を強調した。
 いくつものタイミングで音がズレながら進む。回転とも直進ともつかぬベクトルで。

 規則正しいインダストリアルな中央のノイズと、風をまとって空間の広さもあいまいに披露するノイズたち。
 やがてもっと黒く重たく泡立ち回転するノイズが現れ、全てを咀嚼し包み込んでゆく。

 するすると滑らかに進む。肌触りはざらついているが。低音要素は希薄で、高音の神経質な不安さを強調した。
 音世界の空間イメージはくるくる変わる。途中で虫が喚くこじんまりした世界に遷移した。じわじわと迫り、一転して泥まみれの機械仕掛けな蛙の合唱に向かう。
 激しく左右に音がパンしながら、世界は錐もみ。前後左右上下、怪しく三半規管が震える。
 轟音かつヘッドフォンで聴くには注意が必要かもしれない。集中するほどのに喉の奥が変な感じになった。

 そこからカットアップ風に低音の断続。今度は高音部分が省略され、低音の嘶きに向かった。
 こじんまりした硬い何かを転がして録音してるようにも聴こえる。だが多層の電子音がミュージック・コンクレートっぽい日常性をたちまちかき消した。

 パルスが浮かび上がり、次々に発射。低音と混ざりながら立体的に削っていく。
 空中で鮮やかに舞った。電子音が怪獣の咆哮になり、退治に向かったか。その一方で、子供が無邪気に鳴らすような金属音も同時進行している。

 複数のイメージが次々に現れ、音の焦点は敢えて作らない。ドラマ性はある一方でストーリー性は排除して、イメージの変化を楽しもう。

 本盤には大きさも情報量も配置も時代も、すべてが無名で無定義なノイズが溢れている。
 無機質とも有機物の疑似表現ともつかぬ、アイディアが詰まっている。       
(2018/8:記)

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