Merzbow Works

Cycle(Very Friendly:2003)

All music by Masami Akita
Recorded and Mixed at bedroom March - May 2003
Chorus by Yonosuke & Yoshino

 動物愛護に傾倒しさまざまな生物に題材をとった作品を、ここ数年多数リリースしてきたメルツバウ。だが、本作では抽象的なテーゼを題材にとった。
 さらに題材の幅を広げたくなったのだろうか。CD盤面には大きくゴチック体で「環」の文字あり。個人的には輪廻をイメージしたが、シンプルに円がテーマのようだ。

 なおコーラスでクレジットされたのは、秋田昌美の飼うチャボ・・・のはず。

 デジパックのジャケットは、年輪の電子加工みたいなCGの半分が表1を飾る。開くと中はカラフルでキュートな円を、多数配置したCG。こっちのほうがぼくは好き。アートワークもすべて秋田昌美によるもの。

 おそらく全てマックでの波形編集と思う。
 Part 1 と 2 で、極端に曲の表情が違う。

 前半は実にパワフルで強烈なハーシュノイズをぶちかます、頼もしい一枚だとおもったのに。中盤で焦点がにじみ、そこから歯車が外れた。

 どこにポイントを置きたいのか、探してるうちにも音世界は変わる。
 特に後半のストイックぶりに驚いた。メルツバウのキャリアを語るときに、欠かせない一枚になりそう。
 掴む手がかりをいくつも残しつつ、視線や姿勢はとんでもなくストイックだ。

<全曲紹介>

1.Cycle Part 1 (29:56)

 冒頭からいきなりパワー・ハーシュが吹き荒ぶ。左右のチャンネルへ微妙に異なるノイズを配置し、中央では電子の溶岩が煮えたぎった。
 実に痛快な轟音が底なしにあふれる。

 マックを使った電子音だと思う。アナログ時代を連想する骨太さとメカニカルな波形ループが、みごとに同調した。
 一本のノイズ・アイディアを展開でなく、いくつかのハーシュを組み合わせた。

 ノーリズムだが、短くサンプリングされた複数のノイズはポリリズミックにあおる。
 ダンスをうながしはしないが、躍動感はたんまり。
 
 轟音の壁にうずもれつつ、冷静なパルスがいくつか。濃霧を照らす探索灯のように、頼もしく鳴る。
 ハーシュの壁は定期的な音の瞬きへ嫉妬したか、中央でごわごわとうねるノイズを引っ張り出した。
 表面を不定形にこすっては、傷をつける。千切れそうなゴムのよう。

 次第に世界は混沌の比率を上げた。淡々と鳴る高い音は固定したまま、音の主役はあいまいに。
 大勢が現れては消え、次のノイズへ道を譲った。
 
  やがて明確なループがリズムとなる。奥でうごめくドラムっぽい音が、何だか気にかかった。
 6〜7種類の音が同時並行する、得意の多重ノイズだ。

 丸っこいモノが登場。固いゴムマリか。
 握り締めたらきゅっと反発し、表面をうねうね変えつつ、弾力もって弾む。
 さらに前面で太いシンセがうねるウエーブ。左右チャンネルを練り歩いた。
 ハーシュの壁はいつの間にか、取り去られる。

 クライマックスに、ハーシュは姿を見せる。
 執拗に呻く電子声が、Yonosukeらの叫びだろうか。
 
 ストーリーも脈絡もパワー・ノイズで蹴散らしてほしい。カラフルなシンセを行く種類もメルツバウは使用した。
 螺旋となってシンセのうごめきは左右を漂う。
 フィルター・ノイズが中央を埋め、まっすぐに前へ。さまざまなノイズの輪郭を明確にしたまま。

 幕をひくのは、やけに高音成分を強調したノイズ。
 歯が浮くほどにしゃらしゃらとスピーカーを震わせて、不安にさせる。
 いや、低音も残っていそう。床から足先に、わずかに振動が伝わるから。

 世界は力尽きたように、唐突に終わる。

2.Cycle Part 2(39:53)

 やけに肉体的なサイレン。これもYonosukeらの鳴き声を変調か。
 音程をきっちり感じる低い電子音がやけにポップに響いた。
 一段、また一段。時間を経て、音要素が加わり賑やかに。
 明確にクラブ・ミュージックの文法を踏まえたアレンジを、メルツバウはイントロで採用した。

 ざわめきが聴こえる。ポジティブな空気が伝わった。何を言ってるかなんて、わからないけれど。
 ビートは無い。執拗に鳴るシンセのループだけが、小節感を維持した。
 
 車のクラクション。ハーシュは控えめで、空気に色をつける程度。
 音を歪ませ幾度も執拗に、クラクションが鳴る。Yonosukeらも声を変え、苛立たしげに応酬した。
 シンセの和音が滔滔と鳴った。 

 前曲との関連はあまり感じない。むしろ"Part 2"は、人間臭さ、生活臭がただよう。
 いかにも抽象面を強調した"Part 1"に対し、クラクションなどが聴こえるがゆえの単純な理解だが。
 
 ハーシュの要素は踏まえつつ、あくまで低音シンセ・リフに拘泥する。
 環は変わり続けるだけでなく、足元への意識保持が必須と宣言するがごとく。
 11分経過。吹っ切ったように見せても、まだ足元への目配りあり。
 
 が、直後に大きな変化。前章からハーシュの断片だけ残し、轟くのはドラムのソロ。
 生演奏ではなく、いくつかのフレーズをサンプリング、同時進行させてるようだ。
 きっちりチューニングされ、爽やかに鳴るノイズはハーシュに汚されても、そ知らぬ顔で響く。
 サイレンの衣をまとったハーシュが吹き飛ばそうとしても、びくともしない。

 今度はエレキギターの登場。ドラム・セットはいなくなった。二本のサンプリングをそれぞれのスピーカーの前へ配置した。
 ざわめきを引きつれ、短いループを延々と続ける。
 ハーシュは素直に自らの立ち位置を規定する。今度は共存する格好をしめした。

 とたんにギターは陰へ隠れてしまう。次に現れたのはエレキ・ベース。イントロのシンセ・フレーズを模倣するごとく、低音を鳴らした。
 面白いバトルだと思ったのに、唐突にこの対話は終わってしまう。

 世界は深く潜り、深海探索の遊覧船へマイクが切り替わった。窓の外で、水中を何かが力強く通り過ぎる。
 観客らはのんきに、お喋りしながら眺めるのみ。さほど熱がこもってるとはいえない。

 窓一枚を隔てた世界の真剣度の差。視点は外へ変わり、水泡をもらしながら歯軋りを。底光りする視線が動いた。

 スクラッチ・ノイズ。LPの針音がしばし続く。
 世界はおよそ混沌としてきた。またもやどこかで、世界への歯車が動いてる。
 メルツバウの作品で、こういう混乱をあまり感じたことがないのに。
 アイディア豊富ながら、常にどこかストーリー性があったはず。これを聴いてるぼくの体調や集中力のせいかな。
 
 冒頭のYonosukeらの鳴き声や、規則正しい鼻息。いくつかの電子音。
 それらをベースに起き、甲高い音がソロもどきをとった。

 またもや世界はコラージュされ、違う場面へ。一気に音が整理され、テープ・ループを思わせる。何だか懐かしく、素朴な世界。
 メルツバウが初期の自作を懐古した場面、と解釈は、さすがに穿ちすぎと思うが・・・。

 次は水音の加工とフィルター・ノイズの混合へ。まだまだ音の数は少ない。めまぐるしく音がミックスされ、静かな世界に飛んで行く。
 ここでの詫び寂びぶりは異様だ。

 各種テープのサンプリングは何だか聴き覚えある。どこで聴いたろう。記憶を手繰っても思い出せない。
 もちろんこの曲の冒頭で現れたシンセやクラクション、鳴き声といった要素も明確に存在する。
 世界は断片となり、脈絡無く存在。

 風を切る音。全てを振り切り、飛ぶ。

 賑やかな世界は着いていこうと足掻く。さまざまな手わざを持ち出して。
 クラシカルなサンプリングまで。なぜここまで情け容赦なく、振り落とそうとするのか。
 ストリングスの響きは表面を削られ、歪められ・・・スクラッチノイズと相まって、世界を丸ごとそぎ落とす。

 ハーシュの音が、温かく響くよ。破壊的ではなく、ざらざらした表面が手がかりに感じるから。

 とびっきりストイックなノイズ作品だ。唐突ながら余韻を持って、世界は終わる。 (2005.5記)

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