Merzbow Works
Brisbane Tokyo Interlace(1995:Cold Spring)
ジョン・ウォーターマンとのコラボ盤。イギリスのレーベルから発売されたが、「ブリスバーンー東京」と表面に日本語で銘打たれ、ミュージシャン名やレーベル名まで日本語で書かれた。
紙を折りたたんだシンプルなジャケットで、中央に虫ピンで固定する、変則的なジャケットを採用。中ジャケには「交錯」のタイポグラフィもある。
詳しいクレジットは無いが、おそらく互いに素材を交換し合い、曲を煮詰めたんだろう。全3曲入りで、互いのクレジットが一曲づつ、共作名義で1曲。
"Untitled","No
Title","Without
title"と、表現を変えて"無題"を表す人を食った曲名がつけられた。
録音クレジットがまったく無いが、いつ頃どういう風に作ったんだろう。
全曲合わせても35分程度のミニアルバム的なボリュームの作品。1000枚限定らしい。
<各曲感想>
1.Untitled (15:13)
メルツバウの単独クレジット。テープ・コラージュだろうか。ひよひよと漂う高音の電子音へ、ハーシュが叩きつけられる。
高音を消し飛ばそうとしてるのかも。咆哮にも似た衝撃は音塊となってアタックするが、むしろ高音はひときわ強靭に存在を主張する。後ろで響くリバーブの感触は、空ろなフィルター・ノイズのようだ。
数分たつと、さすがにハーシュが他の音をねじ伏せた。軋み音を立てて自らを讃える。
改めて低音のパルスを引き連れて周囲を蹴散らし、真下へ掘り進めた。
風が吹く。軒下の水滴が強烈に鳴った。金属の雨が振りそぼち、部屋の中では無闇な振動だけが存在を主張した。
二つの要素が交錯し、新たなノイズの地平へ向かう。
場面は純化されたノイズの部屋へ移った。振動が回転となり青白く光って、時にボリュームを下げて輝く。
ビートを意識せず、テープ・コラージュを織り込みながらシンプルに進む。
轟音ハーシュよりも手作り感漂う、素朴なイメージだ。ずっしりうねるビートも長続きせず、めまぐるしいコラージュのカット・アップに埋没した。
むしろサンプリング・ループを意識したと読むのはうがちすぎか。
場面はとにかくめまぐるしく変わる。通低するノイズを置くのでなく、ハーシュを媒介に次々と世界を披露しては消えていった。
踏み切りを連想するシンセのパルスが執拗に続き、曲は終る。
ハーシュの電車が通り過ぎて。
2.No Title (14:29)
曲はウォーターマンとの共作名義。秋田昌美が送った素材を、ウォーターマンがミックスしたようだ。
するすると細い糸がよじられて道を作る。次第にほつれてミリミリと千切れた。どんどん短い断片がきらめいては炸裂する。水面につぎつぎレーザーが突き刺さり、一瞬の静寂とカットアップ。
平和なひとときと、今の緊迫との対比か。二つの世界の落差がすごい。
テープ・コラージュっぽい場面と、電子音楽の要素が交錯する。ダビングではなく、別の音素材と繋いでいるようだ。
かなりすぱすぱと世界が変わり、飽きは少ない。
クラシックが後ろで流れ、唐突にハーシュで叩き切る刹那は、なにを表現したいのか。
ハーシュ・ノイズの方法論ではなく、クラシックで言う電子音楽の文脈のほうが素直に耳へ届く。ノイジーな音素材を使っていても、ここに疾走感はない。なんだか停滞したムードをひたひたと感じた。
後半数分で激しさは増した。
ただし、個人的には彼がメルツバウの素材を活かしたとは言いがたい。
そしてエンディングでは、淡々と破壊しては崩れてゆく。
3.Without title (5:55)
クレジットはウォーターマン単独。彼の作品とみるのが普通だろう。ここでは(2)に比べ、スピード感が増す。なぜだ。メルツバウの疾走を踏まえれば、もっと(2)は活き活きした作品になってたろうに。
テープ・コラージュが中心か。サンプリングを駆使してるように聴こえる。小刻みな音がコンマ数秒のレベルで連続し、風景が闇雲に流れていくよう。
規則性はほとんどなく、ときおり挿入される深いリバーブのかかった音が、小節の頭のように錯覚させた。
展開は無きに等しく、音の構成に慣れると単調。しかし最初のインパクトはあんがい新鮮だ。色々な色をごちゃ混ぜに塗りたくった、太いロープがとぐろを巻いて流れていくようだ。
(2006.7記)