Merzbow Works

Arijigoku (2008:Vivo)

Recorded At - Munemi House,Sound Studio Noah
Mixed At - Munemi House
Masami Akita - noise, drums

 ポーランドのレーベル、Vivoから第4弾となるアルバム。ちなみにこの年、本レーベルからさらに"Hodosan"も発表されている。

 本盤のテーマはドラムとノイズ。翌09年に月刊発売の"日本の鳥"シリーズに先立つ、ドラムを強調したコンセプトの盤だ。世界でいち早くラップトップのみでループやノイズを出す、周波数変調のハーシュなスタイルから脱却を図ったのがこの時期。やがてメルツバウはすっかりアナログ回帰へ向かう。

 もともと秋田昌美はドラマーであり、極初期音源にドラムを使ったノイズ作品を披露した。02年の"Merzbeat"を端緒に、無秩序なハーシュとリズムとの融合もじわじわとメルツバウは方向性を試行し、作品化してきた。

 変化をし続けるメルツバウが、ドラムを大胆に取り上げた時期の傑作が本盤。秋田の多重録音だが、セッションのような躍動感がある。
 マスタリングの音圧低めで、小さい音だとこじんまり。思い切りボリューム上げて聴いてほしい。

<全曲紹介>

1."Arijigoku Part 1" 17:35

 いきなりとどろく激しいハーシュ・ノイズ。おもむろにピッチが高いドラムの乱打が飛び出した。小節やパターンは希薄で、パワフルに乱打する。猛烈なロールから打ちのめすばらまきまで。スピーカーだとシンバルは聴こえず、奥深いタムとスネアの響きに貫かれた。
 重厚で鋭いノイズのきらめきはドラムと絡みは持たず暴れる。低音のうねりと激しく咆哮するノイズ。音程やメロディは無いけれど、エレキギター・トリオのフリージャズでも成立しそうな音像だ。

 ドラムの音色が甲高く、平たい。高音ハーシュとぶつからぬ周波数を確保する、ミックスの都合かもしれない。けれどもハイピッチで押しまくるドラマーと、迎え撃つメルツバウの構図をふっと脳裏に浮かべてしまう。
 ドラム演奏そのものが極端にフィルター処理なノイズとなった場面もあり。

 実際はセッションでなく、一人多重録音だが。ドラムが先、かな?根拠は無いけれど。無秩序なドラム・ソロにハーシュ・ノイズをかぶせてるように思える。
 フィルターでいろんな周波数帯域をマスクしたノイズを基調ながらも、ときおり噴出するノイズのさまは、妙にアナログ的だ。

 途中でドラムが消えて、奔出ノイズのみに。一呼吸置くと、妙にパンキッシュなドラムが現れ、たちまちテンポを落とした乱打となった。
 具象と逆ベクトルをメルツバウに求めていたリアルタイム時には、ドラムの音が無い音像のほうが良かった。そのほうが空想を広げられる。明確なパルスであり実音のドラムは想像を拘束するくびきに感じた。

 だが約10年たった今に聴き返すと、ドラムとノイズのセッションめいた構図に、ものすごいスリルを感じる。聴くほうの価値観ってのは、変わるもんだ。むしろデジタル要素を脇に置き、もっとアナログ的に炸裂をと、本盤聴きながら思うものな。

 11分過ぎで、徹底的な高音の持続が素晴らしく心地よい。さらにじわじわと背後で蠢くノイズを足して、単調さを慎重に回避する秋田昌美の丁寧な作りにも感じ入った。
 
 一つの音像に頼らず、ドラムとノイズの融合ってアイディアへ寄り掛かりもしない。作品として起伏と変化とドラマティック性を持った、良い曲だ。

2."Arijigoku Part 2" 17:44

 若干緩やかなテンポの乱打なドラム。シンバルらしき音も聴こえるが、金属質な音にかき消される場面も。ここではドラムの音色へどんどんフィルターをかけ、シンバルも薄ペらいか細さを響かせる。
 激しいビートだが線が細く、頼りなげ。メタル・パーカッションめいた響きにも変わる。

 つまりここではドラムそのものを周波数変調に噛ませ、もともとのハーシュ・ノイズと融和を実験した。
 さらに途中から、ひよひよと軽いシンセの音も現れる。ハーシュのうねりも含めて、ドラム、ノイズ、シンセはそれぞれ緩やかなビート感を持つ。
 だがどれも拍を合わせはしない。ポリリズミックな世界が産まれ、特にドラムが乱打なだけに時折は拍頭が合ってしまう。
 この危ういリズムの奔流が、刺激的で面白い。

 中盤はドラム・ソロの音色が中心。さらに別のスネア・ソロをダビングしてるのかな。音の表面をざらつかせ、ドラムそのものをノイズの沼へ沈めていく。
 おもむろにハーシュが数本そそり立ち、暴れた。アイディアをいくつも加算し、多層的な音像を作るメルツバウならではの展開が良い。

 終盤ではドラムがノイズに埋もれつつ、背後に存在は残ってる。幾層にも重なったとりどりのノイズとドラムの無秩序なビートが溢れかえった。

3."Arijigoku Part 3" 16:12

 甲高い電子音の白玉から、強固で精密なハーシュへ。さらに怒涛のドラムが襲い掛かった。一気にテンションが上がり爆裂する。合間を貫くのは電子音の軋み。フィードバック・ノイズめいた細く鋭い音色だ。
 テンション高いドラムの乱打に、一歩も引かぬノイズ群。複数のノイズで音像を埋め尽くしたうえで、まっすぐに立ち上る力強く高らかな響きで鮮やかな世界を描いた。

 スピーカーで聴くと団子となった音塊の隙間から、高音やドラムの構造が伺える。むしろヘッドフォンで聴いたほうが、繊細な音作りの妙技を楽しめる。
 なるたけボリュームを上げて。つんざく轟音は一本調子と対極な構図だ。かけらも立ち止まらず、複数のノイズが疾走を続けて絡み合うことで、音像を作っている。

 野太く、よじられ黒光りする強固なロープみたいなノイズ。表面は毛羽立ち、刃も通らぬほど強い。
 中盤で一定の落ち着きを見せ、うなりを上げるドラムを従え、堂々と破片ばらまくパワー・ノイズに昇華された。細かいパルスは連打か。骨格と低音成分、連続する打音の外殻が構築する。
 フィルター・ノイズは次々に奔出した。隙間なく。

 持続する無秩序な世界が描かれ、終盤でアナログ・シンセ的な音が現れる。単調さへ陥らぬよう、慎重に音を奏でている。

 唐突かつ急速にフェイドアウトして、幕。

4."Arijigoku Part 4" 17:09

 ドラムの乱打とハーシュ・ノイズ。構造はどれも一緒だ。いっきにフルテンションで始まった。シンバルの乱打が猛烈に加わるのが、この曲での特徴か。主音とハーシュを置くより、複数のノイズが同時進行する。シンバルの音色は残骸となり、ハーシュと混ざった。

 なぜ長尺でなく、15分強の楽曲を並べる構成を取ったか、にも興味がある。15分1曲は、ジャズのライブハウスでほぼ標準となる時間だ。1セット1時間として4曲。それに近似した時間間隔を本盤で味わうことは、冒頭にも述べたように疑似的なセッションを聴いてる気分になる。

 ソロ回しめいたストーリー性や、明らかなドラマや物語は感じない。ドラムを先に録り、あとからハーシュを重ねた手法と想像する。けれども力任せでときおり息をつくような高速ドラムに、次々と細かく鋭いノイズがかぶさる構造は、即興ならではのダイナミズムにあふれてる。
 
 停滞や安寧はメルツバウの最も遠い世界。多彩な音を次々に操り、自由で鮮やかな世界に向かう。ノイズ成分はいっこうに収まらない。いったんドラムが消え、ハーシュの海に。
 5分過ぎ、すっと音が下がって消えたとき、いつの間にかドラムがいないことに気づいた。音圧で気づかなかった。ゾクッとくるかっこよさだ。
 大海に世界は流れ、波打ちが大きなうねりに変わる。ドラムを抜いたまま、広がる青白く細かなノイズ世界。やがておもむろにドラムがフェイドインしてくる。
 
 ドラムがあっても無くても音圧やスリルは変わらない。ビート性がドラムで強調されることもない。むしろドラムはノイズの一つとして、すんなりと荒ぶる世界に溶け込んだ。
 この曲ではしばしば音構造が変わり、すっと引く場面があり。8分過ぎにはノイズをいったん整理し、真っ白でざくざくした風景に立った。間をおかず、新たなつんざきが現れ、無地のキャンパスにランダムな線をどんどん引いていくのだが。
 そうして仕切り直すと、ドラムも加わり混沌へ潜っていく。涼しく凛とした香りを持って。
 
 終盤ではドラムは消えハーシュのみに至る。だが最後に改めて、ドラムの残骸が暴れた。どこまでも複雑で安定しない構図を取る。(2016/7:記)

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