Merzbow Works

23 November 1979 (B) (2018:スローダウンRECORDS)

Recorded Live at Studio, 23 Nov 1979.
Re-Mastered from Original Cassette Tape at Munemihouse, Tokyo on Nov 2017.

Organ, Drums, Tapes 秋田昌美
Organ, Drums 水谷聖

 抽象と具象のはざまを行き交う即興ノイズ。
 2018年にメルツバウは日本のスローダウンRecordsから、極初期の未発表音源をたて続けにCD6枚分、リリースした。これもそのうちの一枚。
 79年の録音だからメルツバウ活動の開始直後の時期。スタジオで当時のメンバーだった水谷聖とのセッションがこれ。
 同様に水谷と秋田のデュオ音源は"Duo"(2013:Tourette)がCD10枚組である。しかしそれは主に80年代後半の収録だった。

 本盤はもっと前の79年。"Duo"のボートラで発売された"23 November 1979"が残されたカセットのB面になる。録音も同じ日。
 翌日のセッションが"Hyper Music 1 Vol. 1"として、スローダウンからのアーカイブ・シリーズから2018年に発売されている。

 この時点でメルツバウにとって、ノイズは方法論でも目的地でもない。本盤で聴ける音源は即興音楽であり、むしろ欧州フリージャズのほうが近しい。
 メルツバウと言われなければ分からないし、メルツバウだと言われても受け入れがたい「音楽的」なサウンドが続く。世間一般的に言う「音楽」とは遠く離れているのだけれど。

 今までにない音楽を追求する、二人の思いが整理されぬまま収録された。文字通りのジャム・セッション。道筋が見えぬまま、音を出してあがいている生々しい様子を追体験できる。

<全曲感想>

1 Part 1 20:22

 ランダムなドラムの籠った音の横でオルガンが無秩序に鳴る。ときおりかぶさるシンセっぽい音。クレジットでは秋田と水谷の双方がオルガンとドラム演奏とあるため、ダビングを重ねた製作か。
 テンションが次第に高まり、音数は多くなる。物語性や構成ではなく、自然発生的に。オルガンはノイズに行ききらず、メロディらしきものを奏でた。この点が本盤をどう解釈するかの鍵。

 もしインプロのジャズ路線と聴くならば、本盤は上がり切らぬ緊張感や斬り合いが物足りない。逆にノイズと聴いたらば、メロディの中途半端な存在感に中途半端さを感じる。
 ここでメルツバウのファンとして全肯定するのが一番楽な聴き方だが、それも芸が無くて詰まらない。
 ということで、ぼくは創作の過程に想いを馳せながら聴いていた。破壊衝動や芸術志向のノイズにしては、今一つ音の狙いにピントが合っていない。
 1979年とノイズ音楽のジャンルが創成期な時期を鑑みると、仕方ないのかもしれない。
 何か新しい音楽、を狙って試行錯誤の過程か。だからこそ秋田も当時、本盤をリリースに踏み切らなかったのでは。
 40年近くたった今、歴史的音源としての価値は十二分にあるが。

 ドラムは拍子を回避しながらも、ある程度のパターンは保持した。いっぽうでオルガンは演奏が進むほどに和音や旋律のくびきに囚われていく。
 どちらがどちらの演奏かは分からない。オルガンの"音楽的な"アプローチにドラムがいらだち、もっと無秩序でノイズな世界に導こうとたくらむも、オルガンが気付かないって風景をふっと想像した。

 これは秋田がドラム、水谷がオルガンならば話は分かりやすく、ノイズの道を究めるメルツバウの伝説の初っ端にふさわしい。しかしライナーによるとドラムが水谷、オルガンが秋田と言う。

 水谷のドラムは多少荒っぽいが、成立している。そして「音楽的な」秋田のオルガンも。
 セッションは緩やかな起伏を繰り返しながら、続いていった。ジャズ的なファンキーさよりも、プログレ的な暴れっぷり。オルガンの乱雑なフレーズは高まって行き、終わる
。メルツバウにはまれな、音楽的なセッションだ。

2 Part 2 15:09

 ハウリングと軋むノイズで幕を開け、ドラムが加わる。(1)よりも抽象性は高まった。
 今度は秋田がドラム、水谷がオルガンに戻った。キンキンと唸る音はエレキギターからのノイズっぽいが実際はどうなのだろう。
 ドラムはソロのようにひとしきり叩き、オルガンは釣られず無造作に鳴らした。
 一瞬の全休符が、見事なタイミングで成立する。

 そこからはフリー・ジャズな疾走に向かった。ドラムは手数を増やし、オルガンも無秩序に鍵盤を押しまくる。
 (1)よりよほどノイズ寄り。だが音色はドラムとオルガンであり、初心者にも聴きやすくはあるだろう。

 これはメルツバウではない、と最初は抵抗感があった。だがメルツバウとは何ぞや、と固定観念を抱くことがそもそも固陋の証。これもメルツバウ、であり、ここから始まるメルツバウ、だ。

 力任せにドラムとオルガンを互いに鳴らしつつ、乱暴な破壊方向に行かないのが逆に興味深い。拍子をハズシながら、メロディや和音からは脱却できていない。それがどんなに即興的であったとしても。
 フリージャズと聴くならば、むしろ物足りない。ただ二人が音を出しているだけで、目的意識やベクトル感に欠けるためだ。使命感やコンセプトに囚われず、二人は鳴らしている。
 まさに今、蔵出し音源だから聴ける音楽かもしれない。(2019/1:記)

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