Merzbow Works
Uzura: 13 Japanese Birds Pt. 5 (2009:Important records)
Recorded and mixed in Tokyo, Mar 2009 at
Munemi House
Masami Akita - Music
月間メルツバウ日本の鳥シリーズ、第5弾はウズラ(Quail)がテーマ。愛知県の豊橋市で、高病原性鳥インフルエンザで殺処分されたウズラへのレクイエムを表題の三楽章構成を取った。なお録音時期には25万9千羽だったが、殺処分はこの後も続く。報道によれば 最終的に約160万羽へ被害は拡大した。
激しい音像は、怒り。動物愛護の観点で、ウズラへの哀悼を激しいノイズで表現した。ノービートのドラムが電子音と絡む、本シリーズの共通コンセプトは継続する。
しかし毎回変わるアプローチとして、本盤でメルツバウはドラムの音色をさらに加工した。(3)で顕著だが、デジタル的な音編集が目立つ。
特に(2)では帯域をえぐったドラムをさらにサンプリングして、音素材の一つ程度にとどめる手法を強化した。二大要素から一素材へ。大きく立ち位置を変えた。(3)でもその傾向は強まり、ドラムの音はしじゅう夢見心地だ。
<収録曲>
1."Requiem for the 259,000 Quails Culled at a Farm in Toyohashi Part 1" 15:54
初手からテンション最大、ツーバスのドラムとハーシュの奔流が一気に噴き出した。ドラムは叩きのめしだけでなく、ときおり緩急効かせたフィルを混ぜる。リズミックだがビート性や小節感は相変わらず希薄。ストンと深い響きで痛快にドラムを鳴らした。シンバルは良く聴こえない。ハーシュの電子音に埋もれてるのかもしれない。
シンセによる鳥の鳴き声が軽快かつ明るく響く。唸る轟音ハーシュ、荒れ狂うドラムの中でも、涼やかさを保って。軋み圧倒する切迫感へ気づかぬように、無邪気に。
音楽としてメルツバウ流の、ひとときも休まぬ変貌は本盤でも健在だ。しかし本シリーズの過去作と比べても、本作はひときわアグレッシブに疾走する。電子音が猛烈にミックスされ、隙間なく荒々しく詰め込まれた。
ドラムはタムを猛然と叩く。シンバルも現れた。ほんのりひしゃげて聴こえるのは、音色の電子加工よりも並列するハーシュの響きに耳がつられてるためっぽい。
音圧の変化は、たまにドラムが一息つくときだけ。あとは全てのノイズがフルテンで襲い掛かった。いがいとメルツバウで圧迫が続くのは珍しい。瞬間こそ激しいが、全体では緩急や起伏を常に意識したオーケストレーションなため。
最後で急速に音の翼を閉じて、収斂するさまこそがドラマティックだ。
2."Requiem for the 259,000 Quails Culled at a Farm in Toyohashi Part 2" 27:37
(1)で疾走しつづけたテンションと一転、この曲ではメリハリ効いた構成が見られる。
まず鋭く貫く音の崖。取りつく手がかりは膨大にあるが、痛く手に突き刺さりそう。一分ほど経過し、ぐっと音が整理された。細く鋭い響きと、低音で広く広がる電化ノイズ。断続的にドラム・トラックが挿入された。
カットアップで、ぐしゃぐしゃに加工された音色。サンプラーのように同じリズム・パターンが繰り返される。へし折られ潰れた音色は上下の帯域を削られ、四角くまとまった。
再びハーシュの奔流へ戻る。隙間ないと思われた壁へ、穴がいくつも空く。細長いシンセ、そしてドラムのサンプリング。ドラムはやがてすべての音を消して、しばらくの間だけ主役を張った。
ここではドラムがリズム楽器では無い。音素材の一つに押し込められ、指先ひとつで登場に役割分担を大きく変えた。
脈打つ機械仕掛けの響きは、無造作に命を奪われていったウズラへの哀歌か。上物の表情は様々に変わる。ごく一瞬、またしても「君が代」の断片っぽいフレーズが現れた。
やがて低音が切り裂かれ、ドラム・サンプルに変わる。ここでのループ使いはさらに過激に繰り返され、サンプリング・パッドを小刻みに叩く超連続技でのドラム使い。リズムがみるみる断片化、加速集積した。
やがてノービートへチェンジ、再び筋肉質な電化性ハーシュの轟きに向かった。フィルターで削られた音色は、場面ごとに落とす周波数帯域が変わる。軋む連続音は時に生々しく金属の輝きを見せ、次に色合いを削ぎ落とされ無機質な音の棒となった。
一瞬でカットアウト、マレットみたいなキックの音、やがて猛然なドラム・ソロへ。全てがダブ風に音加工され、幕の奥か水の中で暴れているかのよう。
断続する刻みは、低く軋むシンセのループに。これも鳥の声を模した。右チャンネルでハウリングのロングトーン。ミニマルな展開だ。
冷然とした躍動と連続の対比を経て、再び加工音色のドラムとハーシュの海へ。世界は一気に拡大し、飛翔した。
ドラムのサンプリングとハーシュ・ノイズの猛雨。降り注ぐ音の雨の中、加工されたドラム・ビートはメカニカルに響き続ける。脈動として。
高まり、最後はさらに純度を増したノイズの絶叫が響いた。
3."Requiem for the 259,000 Quails Culled at a Farm in Toyohashi Part 3" 12:35
ふわふわと漂う音色。ドラムがうっすらと幕を引いた奥で響く。アラビックな音色、もしくは女性の肉声に似た響きが緩やかにまとわりつく。リズムとは異なるタイム感で、エキゾティックに。ハウリング、もしくはフィードバックか?シンセの歌声か?正体のつかめぬまま、隙間の多い音楽へ耳を澄ます。
シンバルの音色はフィルター加工が激しく、飛びすさる羽のようだ。
酩酊する空気が、タルッと続く。虐殺された鳥たちのいる涅槃を表現か。激しいはずのドラム連打も音圧を消され、ねじ曲がった音色のため現実感が、恐ろしく希薄だ。
鈍く振動を続ける、単音。プラスティックに震える音は、奇妙に中東を連想する。ドラムのリズムはタム回しが落ち着いてきた。けれども、やはり奥まったまま。
この曲ではあらゆる音がサイケデリック。残響を削られ消えていく音はサンプリングのように繰り返され、高速ビートのドラムと違う譜割で動くため、足元が溶けていく非現実感を覚える。ここには暴力的な安定さが無い。全てがあやふやだ。
メロディアスに上下するシンセの音階。複数の音列が別々に動く。スペイシーな冒頭の肉声っぽい音色の残響。ドラムは淡々と叩く。シンバルの連打は実演奏のはずだが、規則正しさがサンプリングめいて聴こえた。
ハーシュが瞬間的に挿入され、すぐに消される。本曲での音変化は、あまりに鋭角でデジタル的な変化だ。変貌に優しさは無い。すぱりと変わる。
終盤でもやけた音像はようやく収斂をみせた。奇妙なほど軽やかに加工されたドラムと、ふわふわ漂うハーシュ。煌めくシンセ。
この音像そのものは凄く心地よい。このアイディアで、もっと長尺で聴いて見たい。
(2015/9:記)