今お気に入りのCD

最近買い込んで、気に入ったCDを中心に感想を書いてます。
したがって、特に新譜だけってわけじゃないですが、お許しを。

HOSONO BOX 1969-2000/細野晴臣(2000:RE-WIND)

 1969年にエイプリル・フールでデビュー以来、今に至るまでの細野の歴史を、さらっと4枚組にまとめたボックスだ。
 そう、4枚全部聞いての印象は、まさに「さらっと」。僕がこれまで細野の音楽をリアルタイムでいろいろ聞いてきたから、なおさらそう感じるのかもしれない。
 ふりかえると、細野はさまざまなバンドやユニットを乗り換えながら、日本の音楽をがらっと塗り替えてきた。
 はっぴいえんどで「日本語のロック」を表明し、キャラメルママ(ティン・パン・アレイ)で歌謡曲フィールドにロックを持ち込み、ソロではトロピカルの名のもとに、さまざまなリズムを消化して日本に紹介した。
 かとおもうとYMOで世界に名をとどろかせ、長髪を一気に古臭いものにしてしまう。そしてその後。歌謡曲の世界でポップなメロディを発表しつつ、一気にアンビエントの世界へ浸りこんでいく。興味の赴くまま、スタイルをがらっと変えていくので、ぼくの中で彼の音楽性を整理するのが大変だった。
 だって、どの時代の細野を聞いても、とても魅力的だから。そして、どんなにそっけないスタイルを取っていても、うしろに見え隠れしていたのは、確固たるポップなメロディ。
 だから、どんなとっぴな音楽でもすんなりと溶け込めた。
 思えば、細野の音楽を聞いていて、僕は幅広い音楽の魅力に気付いていったといえる。

 僕がリアルタイムで追っかけてきた細野の音楽は、上の流れで行けばアンビエント時代。具体的には1984年にテイチクで「ノン・スタンダード」「モナド」の二つのレーベルを立ち上げたころ。「アヴァンギャルドなんだけども、根本的にはポップス」の微妙なバランスが大好きだった。
 とはいえ、このころから細野は膨大な音源を発表していく。だから、いいかげんなファンの僕は聞いてないCDが何枚もある。
 細野がデビューして、これまでソロ名義やユニット名義で発表したCDは、50枚近く。その2/3くらいを聞いたことある程度だ。
 最近の細野のアルバムがなかなか手に入らないのももどかしい。HATなんて、96年(1st)や98年(2nd)リリースなのに、さんざん探しても見つからない。なぜだ。

 さて、前置きが長くなった。
 このCDは4枚組といいつつ、単純なレコード会社横断のベスト盤じゃない。
 未発表曲やレア音源満載の見事な選曲だ。
 選曲は細野本人ではなく、鈴木惣一郎(細野は監修)が行っている。それがいい方向に出たんだろう。
 作曲者本人の思い入れとは別の「リスナー」としての立場で選ぶから、実にツボを心得た選曲になっている。
 ブックレットに細野の一曲毎の解説が乗ってるが、「きらいだ」「聞きたくないんだよね」的な発言がちょこちょこあるので、苦笑してしまった。

 で、4枚を簡単に分けると「デビュー前〜YMO以前」「YMO〜現在(ポップ編)」「YMO以降(アンビエント・テクノ編)」「レア音源集」ってなところか。
 なにせ、DISK1が細野の中学時代のピアノソロ(モンクの「ブルー・モンク」)から始まるのがすごい。さらにレココレの連載で紹介されて以来、ぜひ聞いてみたかった音源の、カメラマンの野上の実家でのスージー・クリームチーズ名義によるバッファローのカバー。よくこんな音源が残ってたもんだ。のっけから驚いてしまう。
 「北京ダック」はしっかりシングル音源なのがうれしい。アルバム版より、ずっとポップでいい。
 今回の旧発音源は全てデジタル・リマスターされて、固いけどもぶっとい音に仕上がっている。だけどこのDISK1は、細野のメロディアスなベースが聞き所のひとつなのに、あまり強調されていないのが残念。
 
 DISK2とDISK3は、ほぼリアルタイムに聞いていた音ばかりなので、どの曲も思い入れがあるものばかり。この2枚は、リマスターが効果的に響いて聞こえた。
 テクノのリマスターが、こうも印象がかわるのかと驚いたくらい。
 しかし、このなかにはフレンズ・オブ・アースもHISもHATもハリー&マックもいない。たかがCD2枚で、80年代以降の細野を語るのが無理ってもんなのだろうか。
 おまけに、80年代前半に発表した「ゼビウス」などの、ビデオ・ゲーム音楽も未収録。一曲くらい入れて欲しかったな。著作権がらみで揉めてないといいんだけども。

 そしてDISK4がレア音源集。これだけ活動していながら、ライブ音源をはっぴいえんどとYMO以外発表していないので、ここでちょっとながらリリースしてくれたのは嬉しい。
 収録されているのは、デビュー前(またもや!)細野が高校生のころのオックス・ドライヴァーズと、YMOの演奏をミックスしたもの(編集がみごと)から、ソロ初期に、ティン・パンの1976年の「中華街ライブ」など。
 この中華街ライブは、ビデオ映像が残ってるはず。ぜひ見たいぞ。
 その他、はっぴいえんどの未発表曲やティン・パン時代のスタジオ・セッションなど。お宝ものがどっさり。
 
 しめて4枚、昔からのファンでも(ファンだからこそ、かな?)手が伸び、これまで細野の音楽を聞いたことがない人でも楽しめるものになっている。
 ブックレットも詳細なデータに、細野へのきめ細かいインタビューと、丁寧なつくりになっている。プラスチックっぽさを強調したトータル・デザインもかっこいい。
 だのに僕がこのboxを手に入れるまで、あちこちレコード屋を探し回って、結構手間取った。販売枚数が少ないのかなあ。
 とはいえ4枚で一万円。安いもんです。ぜひ見つけたら手にとって耳にして頂きたい。日本が産んだポップスの天才が作り出す音楽が与える、至福の時間を約束します。

ほうろう/小坂忠(1975:Mushroom/Alfa)

 上で紹介した4枚組の細野晴臣boxに、小坂忠「ありがとう」が収録されていて、このCDを聞き返したくなった。
 このアルバムを細野晴臣は小坂忠と共同プロデュースしている。
 録音時期から言って、バック・ミュージシャンはティン・パン・アレイ一派。林立夫(ds)、細野晴臣(b)、鈴木茂(gr)、松任谷正隆(key)の黄金4リズムに、鈴木(矢野)顕子(key)、山下達郎・吉田美奈子・大貫妙子(cho)といった、当時の定番メンバーたち。
 したがって、演奏に不安なんかない。あるわけない。メロディアスな細野のベースが林のドラムと絡み合い、あったかくて粘っこくて一筋縄では行かない演奏が、全編を覆い尽くしている。 
 小坂の歌声も張りが合って魅力的だ。嗄れ声の潰れた声でなく、甘苦い味の豊かな声をしている。
 
 選曲面では、はっぴいえんどの「氷雨月のスケッチ」「ふうらい坊」をカバー。松本隆の直線的でストイックなドラムとはうってかわって、林の横に膨らむドラミングが新しい魅力を原曲に付け加えている。
 のびやかに歌う小坂のヴォーカルも、聞いていてとても和む。リズムセクションはタイトでスリリングなだけに、その対比が刺激的だ。
 
 このアルバムで一番好きなのが「しらけちまうぜ」(作曲:細野)かな。帯によれば小沢健二がライブでカバーしてるらしい。
 ドラムとギターがせわしなく煽り立て、ベースが軽やかに弾む。高音のコーラスがうしろから背中を押して、ストリングスがやさしく曲全体をつつみこむ。そんなわくわくするバックに負けることなく、柔軟にリズムをずらしながらさりげなく歌うのがとてもかっこいい。3分間で終わってしまうのがとても残念になる、幸福なひとときだ。
 編集してるのかなあ・・・。歌のフレーズが変わる瞬間、がらっと表情が変わる個所が大好き。
 ちょっとほんのりした熱気が心地よい。日本のニューミュージックのセンチメンタルに流れる寸前でこらえた、ぎりぎりのタイミングにある好アルバムだ。

NakedSelf/THE THE(2000:nothing)

 インターネット通販が、さらにさらに一般化して欲しい。つくづく思う。
 ひさかたぶりにCDをリリースしたミュージシャンのインタヴューを読んでると、時たま「契約更新がこじれて、リリースに時間かかったんだ」って発言にぶち当たる。
 だけど、これこそもったいない。リスナーにとって、リリースされるまでの空白の何年間もの間、そのミュージシャンの音楽を味わえないんだから。
 インターネット通販で、インディーズのゲリラ的販売が販売ルートとして確立すれば、ミュージシャンはもっと自由にリリースできるだろうし、リスナーだって、もっと自由自在に音楽を楽しめるだろう。
 (しかし、こういう話題こそ「telの戯言」でじっくり語りたいな。更新できるのはいつのことやら・・)

 今回のザ・ザの新譜はオリジナル・アルバムとしては93年の「DUSK」ぶり。ザ・ザ名義としても95年のハンク・ウィリアムズのカバー集「Hanky Panky」以来だ。トレント・レズナー主宰のナッシングからリリースされた。
 マット・ジョンソン(ザ・ザは彼の個人ユニット)のインタビューを読むと、今回のリリースまでに、契約関係で紆余曲折があったらしい。

 アルバムのインナーに載っているディスコグラフィーによると、97年に「Gun Sluts」というアルバムを完成させるもお蔵入り、今回のアルバムも98年には完成済だそう。
 ところが、リリースにここまでかかるとは・・・実にもったいない。
 なぜ、こういういいアルバムを、完成時点で聞けないのか。

 アルバムの印象は、相変わらず重たい。暗い。ウォークマンで電車に乗りながら聞いていたが、いまいち楽しめない。
 やはり、この雰囲気は夜の部屋が似合う。スピーカーに向き合って聞いてこそ、魅力が伝わってくる。いや、ヘッドホンのほうが似合うかな。
 でもザザの暗さは陰鬱な暗さじゃない。泥沼から必死にはいずり出ようとする、強烈な意志を感じる。
 
 16CHの機材であっさりと録ったのがいい面に出たのか、とても太くていい音をしている。
 ノイズ成分をふんだんに使って深みを出した分厚い曲と、切れのいいアコースティック・ギターを前面に出した曲が混載しているが、違和感はない。
 統一感を持たせている要素のひとつが、マットのヴォーカルだ。
 下っ腹に響く低音から、なでるようなファルセット、そしてびりびりとのびていく中音域まで、フルレンジにわたって個性的な歌声が健在で嬉しい。

 ギターの音がとてもきれいだ。かろやかなカッティングから、鈍く響くノイズまで、気持ちよく空間を漂ってくる。
 あえて難点をつけるとしたら、メロディがいまいち。
 もっと起伏のある、練りこんだフレーズを聞かせて欲しい。マットのヴォーカルは表現力こそ人一倍あるが、どうしてもバックの演奏に歌声が埋もれて、声がアレンジの一部になってしまいがち。それとも、わざとなのかな。
 もっと強烈に、自分自身を主張して欲しいんだけども。

 ちなみに、インナーのディスコグラフィーには、次作として「45RPM」というタイトルがあげられている。しかもvol1とvol2があるらしい。発売予定は今年中だ。
 すなおに解釈すれば、シングル盤のアルバム未収録曲集のコンピだが。どんな感じだろう。
 さらにインタビューによれば「Gun Sluts」のリリースも、次の新譜としてロバート・ジョンスンのカバー集の準備もはじめようとしているらしい。
 まだまだ、今年はザザから目を話せそうにない。

Ballad of a Tin Band/Tinear(1995:simmy)

 3人組のアメリカのギターバンド。僕が知る限り、彼らのアルバムはこれが2枚目。93年にシミーからクレイマーのプロデュースでアルバムを一枚出している。
 今回のアルバムもシミーから。もちろんプロデュースはクレイマーだ。エンジニアはスティーブ・ワトソンらが勤めている。
 前作では、前・今作の全曲を作曲しているデイヴィッド・リチャーズ(g、vo)がベースも弾き、ドラムが二人いるというトリッキーな編成だった。
 今回はドラムは前作同様マット・クーガンが残留し、ベースにラモーン・センダーが参加している。

 などと、もっともらしくミュージシャン名を書いては見ても、しょせんライナーの丸写し。
 かれらがどんなキャリアを持っていて、2000年の今でもかわらず活動しているのかは、さっぱりわからない。ざっと調べた限りでは、このアルバム以降にCDはシミーからリリースはしていないようだけども。
 フルタイムのミュージシャンとしてツアーに明け暮れているのか、限りなくセミプロに近いグループなのか。どうなんだろう。

 とはいえ、このアルバムはよく出来ている。こいつを聞いてる限りでは、ライブも着実にこなしている足腰の確かさを感じる。
 全17曲収録。ともすれば単調になりがちなバンド編成なのに、リズミックなリフで工夫して、飽きないアレンジを心がけている。
 アレンジだけでなく、曲順だってアップテンポとスローテンポの曲を順に組み合わせて、緩急を意識して全体を見据えた構成になっている。
 メインのメロディに起伏がないので、損をしてるなあ。
 バンドの才能は部分部分で感じるけども圧倒的な個性がなくって、こじんまりした印象を受けてしまうのが難点。
 
 音楽的には、ちょっとひずんだギターを数回重ねたシンプルなロック。コーラスの多重録音もさりげなくつかっている。クレイマーにしては、ギターの音をくっきり録音してる曲が多い。
 前半の曲はドラムがゆったりとした8ビートを叩いて、疾走感に欠けるので「倍テンポか16ビートで叩いたら、すごい個性になるのになあ」と思っていたのに。アルバムの後半部分はいい意味で裏切りられ、前半とはうってかわってスピード感あふれるリズムアレンジを聞かせる。

 多重録音を巧みに使って録音に気を使っている割に、ときたま演奏がばたつくのが解せないけれど。
 全般的には、地味だけど丁寧な曲が多い。
 決して華はない。ライブでメインライナーをやっている姿は、残念ながら想像できない。だけど、着実な演奏が聞いていてとてもたのしい。

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